昨日の出来事
昨日、星が丘テラスを通りかかって、そこにあるエスカレーターに乗りました。
なぜか動きがスムーズでなく、時折引っかかっているような動きのエスカレーターでした。
そして、隣にいた夫が一言「シンドラー社のものだ」と言ったのです。
その途端、私の頭に浮かんだのは「やっぱり」と言う言葉でした。
決して初めて乗ったエスカレーターだった訳ではないのですが、今まで気にしていなかったことが俄然気になるようになってしまい不安になったのです。
今話題のシンドラー社のことだけに余計気になってしまったわけですが、こんなことってありますよね。
今まで意識されていなかったから何でもなかったことが、気づいた途端に気になって仕方なくなってしまう。
そして、何があったんだろう、何故だろう、どうしようと考える。
これが「体験から学ぶ」ということの第一歩なのかもしれないなぁと思ったりしました。
さて、シンドラー社は今回の体験をどう活かしていくのでしょうか?
犠牲になってしまった少年と同じ、高校2年の野球少年を子供にもつ身としては気になるところです。 IS
今まで背景(地)であったものの中から何か意味あるものが、ぐっと浮かび上がって来ること、図になること、まさに気づくことなのでしょうね。これがゲシュタルト心理学の図地の考え方なのでしょうか?ただ、そればかり気になって、言葉を換えると一つの図しか見えなくなるのも問題かも知れませんね。もっと背景の中にあるいろいろな図が見えてくるような柔軟な心の目を育てる体験学習を実践されることを願っています。
コメントありがとうございます。
シンドラーのエスカレーターがゲシュタルトの結びつくとは驚きです。
私自身一つの図しか見えなくならないように心しておきたいと思います。
沢山の図の隠されている背景を大切にして、いろいろな図に気づける場の提供をしていくことを心がけます。
ところで、エレベーター、エスカレーターとくれば階段。
階段にもシンドラー社製ってあるんでしょうかねぇ。(へへ、冗談です)