恋と愛

 はじめまして、私はSeedsのメンバー8人の中の一人、ISです。文章を書くのは苦手な私が一番初めにブログを書くことになり、ちょっと困っています。ですから細かいことは気にせず、気楽に読み進んでいってください。内容もあまり堅苦しくないことを書いてみたいと思います。
3月のはじめに行った合宿での朝食の時のことです。何の拍子でそんな会話になったのかは忘れてしまったのですが、恋とか愛とかの話になりました。「朝っぱらから恋だの愛だのの話か」と言われそうですが、これが結構哲学的な話で盛り上がったのです。そしてその後、私はこんなことを考えました。
 話の大筋は「恋は情動(感情)だが、愛は意思である」ということでした。「愛」は意思だからこそ「汝の敵を愛せよ」という聖書の教えも成り立つのだそうです。確かに「愛」には種類(?)があります。「人類愛」「親子愛」「師弟愛」など「○○愛」という言い方はよくされます。でも私は「初恋」以外には「○○恋」というものを思いつきません。意思である「愛」は使い分けができるが、情動である恋は使い分けができないものであるということでしょうか。そういった意味では「恋」の方が純粋な感じがしてしまいますね。持続性も意思である「愛」と情動である「恋」とでは違いがあるようです。
「愛」は努力などによって長く持続させることが可能です。でも「恋」はどうにもならない思いですから、努力などによって持続させるというのは難しい。世に言う「美人は三日で飽きる」というやつです。結婚などは何ともいえない愛おしさの「恋」の状態から、自分が意思をもって大切な人と思える「愛」の状態へ、うまく移行できた時に成立するのかもしれません。ですから意思の基盤になっているものが無くなってしまうと、意思である「愛」も消えてしまうということは起こるわけです。結婚を持続させるためには、意思の基盤になる魅力をより多くお互いに持っていることや、相手に関心を持ってその魅力に気づいていることが決め手になるのかもしれません。既婚者の皆さん精進しましょう。
 人はワクワクしたりドキドキするといった刺激を求めてしまうところがあるようです。ですから多くの人が「恋」をしたいとどこかで思っていたりします。これは厄介なことの火種になりそうでもありますが、この思いがあるからこそ人は少しでも魅力的な人でいたいと努力したりもするのではないでしょうか。要するに心のバランスが大切なのでしょうね。おじ様達がイベントの水着ギャルに目を奪われるのも、おば様達がヨン様を追っかけるのも、疑似恋愛的にドキドキを体験して心のバランスを保っているのだとしたら、大切な行為なのかもしれません。
 何だかどうでもよい「恋愛談義」を勝手に書き進めてしまいました。結構楽しく毎日を送っているおばさんの「ひとりごと」として読んでおいてください。今後はメンバーが回り持ちで書いていきますから、これに懲りず楽しみにしてください。では、またいずれ。

恋と愛” に対して2件のコメントがあります。

  1. G2 より:

    どうも、教員養成GPの若手新進気鋭の室長です。
    GPのHPにSeedsのリンクを貼ろうと思って覗いたら、こんなおもしろいトピックがあるではありませんか。
    特に「恋と愛」というユニバーサルなテーマにズバッと答えがあったので、驚きと新鮮味から書き込みです。
    3ヶ月後の反応になってしまいましたが、非常に興味深く読ませていただきました。
    ではでは、今後ともよろしくお願いいたします。

  2. SeedsのIS より:

    お返事が遅くなって申し訳ありませんでした。
    書き込みありがとうございます。
    若い方に関心を持って読んでもらえて光栄です。
    ズバッと答えがあったなどと言われると、ちょっと戸惑いますがとっても嬉しいです。
    これからも気づいたことをちょくちょく書いていきますので、またSeedsのHPを覗いてみてくださいね。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA