土産話
先月の投稿で、明日から息子家族と沖縄旅行と最後に書きました。実際5月31日~6月5日までを、沖縄本島の北谷辺りを中心に過ごしました。可愛い孫二人と息子夫婦、いつもは東京と名古屋に離れているので、たっぷり一緒の時間を過ごせて幸せな時間でした。沖縄は梅雨でしたから、2日ほどは雨に祟られましたが、大きな公園で遊んだり、ホテルの屋外プールで楽しんだりすることもできました。天気にも恵まれたと言ってもいいかもしれません。
プライベートな時間としては唯々楽しかったのですが、沖縄の中部は大きなアメリカの基地があったり、基地移転で騒がれたりしている地域なので、ちょっと考えさせられることもありました。 戦闘機は爆音をたてて何度も飛んでいきます。軍用ヘリコプターも同様です。道は大きな基地に阻まれ、ぐるっと迂回をしないと目的地に行けないこともあります。日本の本州の真ん中に住んでいる私は、日常は沖縄の方たちが送っている毎日に思いを馳せることはありません。沖縄は青い海と青い空、最高のリゾート地なのです。沖縄に初めて行ったわけでもないのですが、孫と一緒だったからでしょうか、基地の付近で車を運転することが多かったからでしょうか、何だか頭の片隅を離れない思いになりました。せめて、これ以上沖縄の方たちに、戦争の負の遺産を押し付けることが無いようにと願うことは、私なりにし続けていきたいと思っています。
エピソードを1つ。 私たちの行った日は、那覇空港が濃霧で閉鎖になった日でした。幸い息子たちも私も那覇空港に着陸できたのですが、少し遅れた便に乗っていた方は逆戻りしたり、中には嘉手納基地に着陸した飛行機も数機あったのです。たまたま嘉手納基地に着陸した便に息子の友人家族が乗っていて、どのような時間を過ごしたかを聞いたのですが、那覇空港に着陸できたのは羽田を出て12時間後だったそうです。その間、給油を巡ってアメリカと政府レベルのやりとりがあり、その後の対応にもいくつかのトラブルがあったそうです。飛行機の中では、窓のシェードを全て閉め、一切外が見えない状態で過ごしたそうです。近距離のフライトのため飛行機には食べ物も積んでおらず、飲み物だけをいただいて過ごしたそうです。小さな子供もいたのですが、乗客は特に騒ぐ人も文句を言う人もおらず、日本人は忍耐強いなぁと思ったそうです。
沖縄の土産話いかがでしたでしょうか?もちろん沖縄料理はいつもどおり美味しかったです。