今までどおり

4月になって新しい年度が始まりました。この時期もお正月とは違う緊張感がありますね。
日本では環境の変化は、年明けよりも年度変わりの方が大きいことが、この緊張感の所以のように思います。私も新年度になって授業がスタートするこの時期が、緊張感があります。

コロナ騒ぎが始まって以来、年度のスタートは対応策が出されて、そのことに授業内容も影響されたりしていました。段々そのことにも慣れてきていましたが、今年はむしろコロナに対する特別な対応は無しになるとの連絡が入ってきています。
「やれやれ」という思いがある一方、改めて私はどのようにするのかを問われている気がしています。例えばマスクのことにしても、この数年は必ず授業では不織布のマスクをするように指示し、忘れた人のために差し上げるマスクも用意していました。じゃあ今年はどうする?個人の判断に任せるという基本方針ですが、私の授業は人と話をすることも多く、グループでの活動を体験することもあります。人によっては、マスクをしていない人にまだ不安を感じる人もいるでしょう。安心して授業に参加してもらうためには、私はどう学生さんに伝えると良いのか考えて、「授業の特性上マスクを着用することを推奨します」とお伝えすることにしました。
本当にこれでいいのか悩みますが、このようにお伝えした上で、今後起こってくることには、その都度みんなで考えていくことができると良いと考えています。

仕事のことはこんな感じですが、先週末京都に行って外国人の方が多いことに驚きました。閑散としていた錦小路や東山界隈、その他の所も賑わいがコロナ前に戻っていました。
丁度桜も満開で夜桜のライトアップなどもあり、それは見事な物でさすが京都と思いましたが、人の多さや多様さにもコロナ前の京都を思い出させるものがありました。
これを今まで通りと言うなら、今までどおりでなくてもいいなぁと密かに思ったりもしてしまいます。
人混みでない静かな京都をもう一度味わうことはできるでしょうか。観光客の一人である私が言うのも勝手な話ですが、あのゆっくりした静かな京都が味わえるなら、ある意味コロナも悪くなかったと思ったりもするのです。
でももっと勝手を言うなら、錦小路の私の好きなお総菜屋さんがなくなってしまったのは残念ですし、街のあちこちに何となくコロナ前とは違う一新された雰囲気があるのも、ちょっと嫌だと思ってしまう私がいます。

「今までどおり」がどうものか、一人ひとり考えは違っているでしょうが、私は案外変化を好まないところがあるのかもしないと思っています。昭和レトロが少しはやっていますが、私は昭和っぽいものに安心するところがありますし、便利と分かっていてもデジタルなものよりアナログなものを選ぶところもあります。
そんな自分が嫌なわけではありませんが、こんな自分で良いのかとも思います。
前にも書いたような気がしますが、コロナは私に色々なことを考えさせてくれました。

来週からはいよいよ新年度の授業が始まります。
ふり返りが大事だとはいうものの、あの頃は良かったではなく、変化に前向きに今年何をしていくかを考え、新たなことを受け入れて楽しく過ごす時間をつくっていこうと思います。
まだまだ若者に負けないように、コロナ後の世の中を生きていけそうな図々しい思いでいます。

皆様、新年度の春を楽しみましょう。