時を刻む感覚
今日から11月、今年もあと2カ月で街にはそろそろクリスマスツリーが見られるようになりました。先月のブログでは夏の終わりに亡くなった身近な人の話を書かせていただいたが、今回は生かされている者の話を書きたいと思っています。
私は時間があっという間に過ぎていく感覚をもっています。一説には年をとるほどこの感覚は強くなるとも言われていますよね。自分自身では何故かなぁと思っています。ちょっと思うのは、自分だけでなく多くの人の先の予定を考えるからかなぁ、などと勝手に思ったりしているわけです。自分のことだけ考えていればよかった若い時は、自分のペースでそして長ーく続く先のことを考えていました。そして目の前にある時間もたっぷり自分のために使うことができました。今はといえば、結構人数のいる家族の今から先のこと、知人友人のこと、仕事関係のこと、何か多くのことを抱えています。歳をとれば誰もが多かれ少なかれ、自分のことだけという訳にはいかないでしょう。若い頃とは比べものにならない多くのことを抱えて時間を刻むので、早ーく時間が過ぎるのではと思うのです。あれもこれもやらなければと思っているうちに、あっという間に時間は過ぎていきます。そんな毎日が重なって、もう今年もあと2カ月となる。これが私の今の実感です。皆さんはどう思いますか?
ただ、私の夫を亡くして一人になった母は、今は本当に他の人や煩わしい雑用に追われることのない日になりました。でも時間が過ぎる感覚は早いようです。先月の始めに行った父の法要も、随分前のことのように言います。まだ会って1カ月も経っていない人のことを、ずっと会っていないというのです。もちろん、かなりの認知ではあるので、忘れてしまっているということもあります。でも会ったことを思い出しても、それはずっとずっと前のことと感じているようです。こう考えていくと私の説は成立しないなぁと思います。この母に私の時間がかなり奪われていても、あっという間とは思っても母ほど起こったことからそんなに時間が経ったとは私は思わないのに、自分のことしか考えていない母が半年も経ったかのように思っているのですから何とも理解不能です。
反対に今年生まれた孫たちはどう感じているのでしょうか?まだ話もできませんから、確かめるすべはありません。そろそろ6カ月半と4カ月半、表情は豊かになり、母乳以外のものも口にするようになり、自分で気にいるように態勢を変えることができるようになり、泣き方も意思を感じる強いものになり、一人前の人間になっていっています。それぞれの母親が寂しがるほどの変化です(「もっとこのままでいて」と思うことがたくさんあるようです)。変化=時間経過であるとしたら、これほど早いことはありません。でも本人にとってはどうなんでしょう?1日は長いのかなぁ?どなたか自分の体験を覚えている方はいませんか。私は残念ながらすっかり忘れています。私がはっきり言えるのは、おそらく孫たちにはきっと私の歳に、そして私の母の歳になるまでの豊かで多くの時間が残されているであろうということです。時間の流れを「あっという間」と思うまで、ひと時ひと時の時間を自分らしく、楽しく生きていってほしいと心から願うばかりです。
長くなりましたがもう1つ、私の身近な存在である愛犬のモフは、どう時間の流れを感じているのでしょう。アイキャッチの写真は、我が家にやってきた4年とちょっと前。今の姿は先月のアイキャッチですから全く違っています。あと10年できればもっと長く一緒にいたいですが、犬の寿命は人間の長さとは比べものにならないほど短いのも事実です。モフ自身が変な言い方ですが、濃縮な充実した時間を過ごしてほしいと思っています。というか一緒に過ごしていきたいです。
さて、今月はどんな1カ月の時を刻むことができるのでしょう。