今週のわたし
急に寒くなってきました。暖房を入れたり寝具を厚めにしましたが、皆さんも体調を崩されませんようご用心ください。
今週の水曜日、久しぶりに昭和区にある聖公会の主教座聖堂の礼拝に出かけました。これまでに逝去された牧師や伝道師を憶えお祈りする礼拝です。レクイエムとも言います。南山短大時代の恩師メリット先生も聖公会の司祭で、9月のレクイエムでお祈りしていますが、今年は緊急事態宣言の為、10月になりました。何度かブログでも登場していると思いますが、ご存知の方なら皆さんにも、きっと懐かしい交わりがおありだと思います。
キリスト教では11月1日の諸聖徒日に近い日程で墓地礼拝も行います。メリット先生も八事の聖公会の共同墓地にも埋葬されていますが、丘陵地の見晴らしの良い場所に眠っています。「にも・・・」と書いたのは、生前も今も人気者なので、所縁の場所に眠って(眠らされて・・・)おられるからです。
話を戻しますが、水曜日のレクイエムでもお説教があり、日本に来日された一人の宣教師とご家族のことが紹介されました。初めて知る方でしたが、少しお話をさせてください。
1919年(大正8年)に岐阜・名古屋の教会にご家族で来日されました。ケベック州から派遣されたホリスコーリという司祭です。2人のお子さんが、名古屋の夏の暑さにひどく体調を崩され、生死をさまよったそうです。ケベックのツンドラに囲まれているような厳冬の環境から、慣れない日本での生活、その上に名古屋の暑さと湿度は堪え難いものがあったと想像できます。養女として一緒に来日したお子さんの一人が、カナダ先住民の女の子(養女)だったそうですが、衰弱がひどく大変心配されたこと、そのために避暑で訪れた箱根滞在中に、なんともう一人の実のお子さんの体調が急変して亡くなってしまいます。坊やは当時、7歳と6ヶ月だったとか。予期せぬ幼子の突然の死に、コーリご夫妻の悲しみは本当に言葉では言い表せないほどの深い悲しみであったことが想像されます。カナダに現存するこの一連の書簡によれば、箱根ではお寺に埋葬されたことも記されていたそうです。
その後、高田、松本、岡山の教会に赴任されていますが、この間、男の子と女の子が誕生しています。日本滞在はおよそ10年だったようです。
長野方面に古い教会が多いのは、この頃の宣教師の働きによって教会が建てらてました。そしてカナダから届いた資金も多くは募金活動で得られた尊いものだったようです。遠い東の小さな国のさらに小さな小さな働きに集められた支援だったのです。
恩師のメリット先生も第2次世界大戦前に英語教師として来日され、戦後すぐに今度は牧師として再来日されています。
それ以来、ずっとずっと・・・日本に住み続けられましたが、戦後すぐの時代に青年たちをアメリカへ派遣しています。
過去のさまざまな出来事も、その一つ一つが物語として、今につながっているということ。その延長上に、私もあなたも・・・生かされているという事実。時の流れの時間軸にわたしも存在するなんて、ちょっとふわふわ漂ってしまう感じで、不思議な感覚です。
今週は、もう「ここ」にはいないけれど、時間を超えてその人(たち)に想いを巡らせることで、なんだか素敵な時間を持つことができました。
聴いてくださって、ありがとうございます・・・。