捨てられません

秋の虫の声が聴けるようになりましたね。

昨日まで名古屋にある大学の集中講義に講師として参加しておりました。コロナ化でオンラインと対面を合体させたものになりました。こういう形式での実施は初めてでしたので、いろいろと初体験をさせていただき貴重な体験になりました。

そんな中でも学生さんたちの学ぶ意欲と姿勢は、とても真摯で力強いもので、多くの気づきや学びを得られたと思います。いつもながら共に学ばせていただくことができたことを感謝しています。

この内容をブログに書くのは少し難しいので、スタッフで話をしている時のちょっとした気づきを、今回は書かせていただこうと思います。

私はものが捨てられない方です。家族の人数が減って家の空きスペースが増えたこともあり、ため込めるだけため込んでいるという感じです。仕事の資料、過去のファイル、本、洋服、雑貨、まあ種類を問わずということです。今回一緒だったスタッフの中に、私のようになかなかものが捨てられない人もいましたが、何でもドンドン捨てられるという人も。お互いに何で捨てられないか捨てられるかを話している中で、1年使わなかったものは捨てるという話がでました。これは今までにも聞いたことがあることなのですが、今回はふとこんなことを思いました。名古屋は「いざという時のために」とか「この時のために」という思いの強い文化だといいます。だから冠婚葬祭などのための物を持っていたり、預金額も多いとも言われます。私は根っからの名古屋っ子なので、子供の時からそういうことを祖父母や親から言われたことがあります。だから1年では捨てられない。言い訳のようですが(まさにいい訳かもしれませんが)、私がものが捨てられない一端には、ちょっと影響しているかと思ってしまいました。

でも、9月1日に絡めて考えると、防災グッズをきちんと整えていない私は、名古屋の文化からの影響以上に「正常性バイアス」の方が強いのかもしれません。なーんて何でも都合よく解釈してはいけませんね。

涼しくなったら少しは家を整理しようかなぁ。防災グッズの点検もしないとね。