見えなかったものが見えるようになる

自粛生活の中、気づいたこともあります。

それまで意識すらしなかったことをよく見るようになり、わずかな差異がはっきりと感じ取れるようになるということがあります。

ひとつは、政治家の言葉。これまで、それほど真剣にテレビで扱う政治家の言葉に耳を傾けてきたかといえば、選挙演説でも、今ほど真剣に聴こうとしてはいなかった気がしています。

政府の発表、総理の会見だけでなく、都道府県の知事の発言、市長の発言を、今、日本中、世界中が同じコロナ禍にあるからこそ、耳をそばだてて、一言一句の意味と、意図を読み取ろうとその表情、その言い回しを含めて、見入っています。

その一言が、方針が、自分たちの命と暮らしに直結することだから。

ひとりひとりのメッセージに、何が込められているのか、何を見ての言葉なのか、何を目指しているのか。わかりやすいか、そうでないか、感じがいいか、悪いか、すーっと伝わるか、違和感があるか。そういう差異が与える、受け手への影響を、また、感じたりしています。

人間関係の学びでは、対話が大切だとされています。「話し合うことで理解し合う」というだけの意味ではないと私は理解しています。

言葉を発する人の、よびかけが、伝わるかどうか、どう伝わるか、それが、受け手にとってどう受け取られ、どんな影響を与え、受け手はどうするか、それにどう応えるか。人と人が対峙するとき、言葉はどういう重みをもつのか。みせかけの言葉か、重みのある言葉なのか。

そんなことを、考えながら、政治家の言葉を受け止めつつ、それに、今後自分ならどう応えるかをよく考えて、覚えておこうと思います。今回ほど、広い市民の一人一人にとって、政治が影響を与える出来事は、ないと思うので。

もうひとつは、一人でものをじっくり感じ、考える時間がたっぷりあるおかげで、「不要不急」ということ、自分には何が大事で、今、何をしたいのか、他は、ちょっとおいておいてもいいなということが、だんだんはっきりと感じ取れていて、見えてきているなということです。

簡単にいえば、自分の本心に気づくということでしょうか。

何をおいてもしたいこと、今すぐに考えたり、したりしないといけないこと。

これまで、習慣にしてきたことや、長く続けてきたことも、本当にそうかな?今自分にとって必要なのかな。違う見方もできるかもしれないな。などなど。

それには、こんな出来事がきっかけになりました。

4月は、いろいろ家族、親族の間で、動く必要のあることがありました。

子どものころから、可愛がってもらった、叔父が急逝したこと。その葬儀に出かけたこと。感染対策をしたうえで、小規模の葬儀の数日後、久しぶりに会った従妹と、ゆっくり電話で話して、いろいろ感じることも多くありました。叔父が思い残したこと、叔父の兄である私の父への気持ち。私たち甥姪への気持ち。

もうひとつは、夫の母である、義母が突然、心不全を患い、緊急入院を経て、要介護となり、急いで看護のできる施設を探して転院させるという大仕事がありました。

自粛で、すっかり空いた高速道路を使って、何度か病院、施設、夫の実家に向かい、義母の着替えの用意や施設入所の準備、役所や施設での手続きなどなどをしました。

コロナ禍のもと、病院の医師や看護師の方々には、本当にお世話になりました。また、新たな施設の方でも、看護師さん、ケアマネージャーさん、ケースワーカーさん、そのほか、介護用品の手配をお願いしている方など、スムーズに義母の介護環境が整うように動いていただいて、助かりました。

まだまだこれから、介護の状況が安定するまで、気が抜けませんが、緊急入院からひと月以上、だれの見舞いもできない中、ひとりで病と闘っている義母に、早く会えるようにならないものかと、もどかしくもあります。転院時にちょっとだけ、夫は義母と話はできましたが。

私の親のいる施設の方も、まだまだ面会禁止。必要なものを電話をもらって届けながら、様子をスタッフから聞いています。介護施設は、このコロナ禍の中、集団感染が起きないように、限られた資源の中、工夫して対応してくださっています。本当に、感謝しかありません。

4月からの緊急事態宣言の間も、高齢者の状況は日々変わっていて、急な対応を迫られることが多々あります。

そういうことにも、思いを馳せながら、あれこれ離れたまま、心配し、親たちの安寧を祈っています。

でも、楽しいことも見つけました。

リモート会議をしなければならない、長男からのSOSで、Zoomを使っての孫の子守りをときどき引き受けています。長男は在宅ワークになったので、保育園は自粛中。3歳5歳の孫は家で過ごしています。医療従事者の嫁はフルに仕事なので、長男は家で仕事をしながら子育て中です。

でもリモート会議中は、子どもの相手ができません。そこで私のPCとタブレットをZoomでつないで、映像を共有し、私が孫たちを相手に、おしゃべり、クイズ、絵本の読み聞かせ、あとは、見守りをするというもの。孫たちは家のリビングで、好きなことをしていますけど、ときどき、「ねえねえ、ばあば」と話しかけてきます。たまに、相手をしてほしいときに、画面に向かって座るかんじ。他は、リビングの様子が、なんとなく見えて、二人の様子は伝わってきます。こちらも、画面を見つつも、近くにきたら、話しかけるくらいのことで、ずっと、何かをやりとりしているわけでもありませんが。

5歳の孫が、もう文字や数字が読めるようになっていて、何組になったとか教えてくれます。3歳の孫は何度もアナ雪をはじめディスニー映画をみているので、テレビ画面に映るディズニー映画のことをきいてみると、いろいろ説明してくれます。

しばらく会っていなかったのに、普段の何気ない日常とつながっただけで、孫たちの短い間での成長や知らなかった様子が見えます。

こんな状況でなければ、しなかったことが、また、新しいつながりの方法を生み出してくれる。

9月からの進級進学の議論や、ネット環境での自宅学習、オンライン授業など、子どもたちを取り巻く環境も、大きく動きそうな気がしています。コロナ禍が、もたらした変化、悪いことばかりじゃないと、思いたいですね。