先送り、思い込み、確認不足
桜が散ってしまったとお思いきや、今日はめちゃ暑いです。
ちょっと前まで朝晩寒いな、でも春だからあまり冬っぽい服もなんだかなと思っていたら、
もう半袖でもよさそうになってきました。
毎年同じことの繰り返しのような気もします。
2月頃から春の洋服が出ているのに、なかなか買おうとせず、
せっぱつまって買わなきゃと思う頃は、やっぱりもう半袖だからなくてもいいなとなり、
翌年、また同じことを繰り返すであろう私です。
そして、5月から年号が変わりますが、
私は生まれ年を聞いても何歳だかわからなくなってくるのが心配です。
はっきり年齢を言わず「平成何年生まれです。」と言われて、さっとわかる人はすごいと思っています。
考えることさえ放棄している節のある私です。
そのうえこの頃は、いい加減さに加速度がかかっています。
この前、ヨガのレッスンに行き、ロッカーを間違えて使用してしまい恥ずかしい思いをしました。
受付で「23番でお願いします」と言われて番号札のついたロッカーキー受け取り、
そのまま23番のロッカーに荷物を入れました。
ロッカーは最初から開いているので、違和感なく入れて着替えたのです。
ところが、閉めようと思っても閉まりません。「おかしい、鍵がこわれている」とすぐに思いました。
しかし、その時、トイレに行くのを我慢していたので、まず先にトイレに行ってから受付に行こうと思って
ロッカーはそのままにしてトイレに行きました。
すると、トイレから帰ると私のロッカーの前に何人か人がいます。
何だろうと思ったら、受付の人に「これは32番のキーですよ」と言われ、
「えー?そんなはずはない」とよく見たら32番だったのです。
ほんとの23番をもらった人が、もう使われていると受付に行ったようで、
「ごめんなさい、中を見ちゃいました」と言われ、私は赤面となりました。
ただ、受付の人が「もしかしたら私、23番って言いました?」と言ってくれたので、
「確かにそういわれたような気がします」と答え、何とか面目を保つことはできましたが、
確認しないうえに、自分が悪いどころかロッカーが壊れているという判断をする私は、
思い込みがはげしく、視野が狭くなっているこの頃の自分を象徴したような出来事でした。
こんな私は、とうてい生まれ年を聞いて年齢がわかるような努力をするはずもなく、
ただ誰かが考えてくれるのを待つだけなくせに、
自分の年齢は生まれ年を聞いてわかってほしいという勝手な思いがあるのも事実です。