全ては人の心の中に

母が亡くなって、もう3か月半がたとうとしている。

様々な形で、母との思い出をなつかしむ日々は続いているが、

今は確実にその事実を受け入れている。

一方、死亡に伴う様々な手続きやら儀式なども、

次から次へと押し寄せていたが、

ようやく一段落した。

 

少し事情があって、わが家のお墓を建て替えるということもした。

いろいろしなくてはならない手続きがあり、

石材屋さんやお寺と相談して進めたが、

今一つよくわからないことだらけで、常に不安がつきまとった。

幸い、うちが檀家となっているお寺は

細かいことにこだわらないお上人さんなので、

私がものを知らないがゆえに、いい加減になってしまったことも

「いいよ、問題ないよ」と言ってくださり、ほっとした。

 

私が、お墓のことをきちんとできていないとだめと思うのは

宗派の決めごとに従ってきちんとやりたいという気持ちだ。

しかし、それがよくわからなかった。

なんでも相談していた母はもういない。

私にしたら、いまさら人には聞けない類のことでもあった。

そして、それを怠ると祟りや霊がついてしまうなどの

迷信を恐れているところもある。

 

でも、考えてみれば、ルールや決めごとに従ってやれば

迷信と言われるものを気にしなくてもよい。

そうなると、迷信は、物事をきちんとさせるために

自分たちでつくりだした恐れともいえる。

確かに、迷信はなんとなく怖い。

でもその怖さは考えようだと思った。

 

自分自身が納得していればいいわけで

その納得感をどうつかみとるかは、

物事の判断基準を自分の外側の権威とされるものにおくか

自分がこれでいいと思ったことでよしとするかの

その違いにあるのだと思う。

 


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