年賀状

新年あけましておめでとうございます。
最近は、メールやラインであけおめメールをすることで、年賀状のやりとりはしない
世代も多くなってきたように思います。
確かに、忙しい年末、年賀状をしたためることは、夏休みの宿題を残していて最後の一日か二日でやるような
義務感にさいなまれたり、印刷で簡単に済ませたいなと思ったり、元旦に間に合わなくてもいいやと開き直ったり
なかなかゆっくり、ひとりひとりに丁寧に時間をかけるのが難しいという時期でもあります。
昨年は、夏から大きく生活リズムが変わるということもあって、数年ぶりにじっくりと
年賀状を書くことができました。
昨年いただいたものを、見ながら、あて名やコメントを書いていくのですが、
じっくり読み返すと、相手のいろいろな思いが伝わってきます。
昨年年初に届いたとき、こんなにじっくり読んだだろうか・・・こんなこと書いてあったっけ!?
そんなことも思いながら、早めに書き上げ投函できました。
そして、今年の年賀状は、いただいたものも、じっくり読もうと思い、
元旦から毎日、今でもパラパラと届くものも含めて目を通しています。
今年の抱負を書いてあるもの、家族の写真をたくさん載せてあるもの、
海外旅行のスナップや、愛犬をレイアウトしたもの、近況を書いてくれたもの、
いろいろな工夫がされています。
「今年こそは会おうね」とご無沙汰の友人からも。(確か去年も同じだったような・・・)
今日、実家の母を定期検診でクリニックに連れて行ったあと、実家に届いた年賀状も
見せてもらって、じっくり見てみました。
82歳87歳の両親にも思いのほか、たくさんの年賀状が届いていました。
親戚からのもの、父が現役時代にお世話になった方や、学生時代の同級生、
筆圧の落ちた老人の筆跡で、でも丁寧に近況をしたためてあるものも、多くありました。
「老齢のため来年からの年賀状は遠慮させてください。」と印刷されたものも
見つけました。
いろいろな人の思いが伝わってきました。
ほんの1行か2行でも、思いを伝えることができる年賀状。
その人を思うひとときを作ってくれるたより。
もらいたいなとおもうなら、出さないとね。
こころに残った年賀状には、
いのちのかけがえのなさをおもい、世界の問題は自分の足下にあることを
わすれずに、そのときその場で目の前に居合わせた人に専心する、
今年はそんな風にすごしたいと思います。
と、ありました。
目の前の人に専心できているか、昨年からの自分のなかでのもやもやが
これだったかなと、こころに留まったものでした。
私の今年の抱負は、自分ひとりではなく、かかわることをいとわないで、丁寧にやっていくこと
かな。
周りにいろいろと助けてもらうことが多いこの頃、心強い気持ちも味わい、
温かい気持ちにもなり、ありがたいなと感じます。
皆様、Seedsと共に、本年もよろしくおねがいします。
                              ruko
 


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