真夏の大掃除
来月、家の外壁の塗装工事をするので、家の外回りの掃除と、整理整頓をすることにした。
長年見てみないふりをしていた家の周りの粗大ごみを、市の処理センターに持っていこうと思ったのだ。整理していく中に、なんと、私の南山短大の卒業証書があった。なぜ、家の外の物置にあるのかはよくわからないが、失くしたと思ってあちこち探していたので、まずは私にとってうれしい発見だった。
さらに、いっしょにあったのが南短時代のファイル類であった。
自己形成史や、Tグループのファイル、卒業研究のファイルなどがあった。
先生や友達からもらったフィードバック用紙などもあった。
片づけの合間に、さっとだけ見た。手書きのレポートの文字を眺め、私もそれなりに一生懸命やっていたのだなと思った。自分に対して思っていることも今とあまり変わらないように思った。ただ、当時のほうが、もう少し反省的にとらえているかな。
過去の私を眺めながら、自分の来歴を思い起こし、この先のことを考える。
そうしてみると、自分の核なるものは相変わらずなのだと思う。実際の人間関係の場面で「またやってる」と思うパターンも同じだ。しかし、ずるくなったのか、あきらめているのか、ものの見方は以前より柔軟さがあるように思う。都合よくいえば、少しは視野が広がったのかなと思ったりもする。
しかし、自分の老親の様子を見ると、視野が広がったと思っているのも今がピークかもしれないと思う。この先私の視野は再び狭くなっていくだろう。そして、その変化に自分が気づくことなく時を過ごすのだろうなと思う。周りには申し訳ないが、わたしはがんこばあさん、いじわるばあさんになる予定である。
外回りの粗大ごみを整理して、あまりの暑さにくたくただけど、とってもすっきりした。
もう、卒業証書は失くさないようにしなくては。