年末の家事

 今週で年内のわたしの大方の予定は終了します。
残るは、我が家の家事のみとなります。
このごろ、少しサボり気味なので、早くもため息が出そうです。
大したおせち料理を作るわけではないのですが、
つい最近、珍しく息子から、「おせち料理もお雑煮も楽しみだ」と言われ、
うちの味を好んでくれるうれしさと、大した工夫がないうしろめたさからくる困ったような気持ちになりました。
考えてみますと、わたしの家事や料理のやり方は、多くは母の模倣だと言えるます。とくにこうするんだと教わった覚えはなく、台所の使い方や、基本的な調理方法、味付けはそのままだと思います。お雑煮などはまさに母の模倣です。
 このごろはTVの料理番組や、雑誌などにも料理がよく紹介されるので、時々目にしながら、取り入れたりもしていますが、忙しさにかまけ、ワンパターンが続いている気がします。
 それぞれの家庭の料理方法は、先人の模倣や本などで紹介されたものを見よう見まねで、やってみて身につけます。やってみて初めて火加減や、味加減を知り、その時の素材の状況に応じて変化させる必要があることを知ります。まさに体験学習です。しかし、逆に一度覚えてしまったら、工夫することが少なくなり、いつも同じ味付けのものになりがちです。また、やり方のみを知っていれば、なぜそうするのかを知らなくても、うまくできていればOKにしているところもあります。たとえば、かぼちゃは水から煮るのだと知ったら、なぜ水から煮るのかを知らなくてもうまくいくようになってしまえばその理由を考えようとしません。もし、誰かに「なぜ?」と問われたら答えることができないことが数多くあるような気がします。
 なぜと問われて、明確な答えができなくても暮らしていけることが多い毎日です。一度覚えてしまったら、あとはらくにやれるような習慣になります。ルーティンワークを繰り返すのが日常生活を円滑に進めるこつを知る、熟達化ともいえます。そして我が家の味の伝統を引き継ぐ良さがあります。
 でも一方で、毎日実践し、体験を積み重ねているにも関わらず、新しい調理器具や、新しい味つけを取り入れることに対し臆病になり、ある一面では思考停止になっていることにも気づけます。一度知ったこと、身につけたことを変えていくことはなかなか大変です。別に家人の文句がなければ、このままの料理で何ら困らないからです。
 さて、わたしの年末の家事は、やはりこのまま思考停止の心地よさのままいくだろうと思われます。家事を変革させ創意工夫することへのエネルギーは、今のわたしには少し足りません。新しいことを知り、学ぼうとするには、その事柄に対しての興味関心やなんらかの動機づけが必要だと、面倒くさいことはご勘弁をと思う自分から、改めて学んでいます。

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