とっても無理

最近、色々なところで芍薬の花が生けてあるのを見る。
花弁が多く、華やかな大きな花だ。
奈良県宇陀市の室生寺は、この時期芍薬で美しい。
芍薬というとこの言葉がすぐに思い浮かぶ。
「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」
女性の理想の姿を現したものだが、
これには無理があると思いませんか?
(もちろん私には縁がない)
牡丹と芍薬は花弁も多く、大きな丸っぽい花だ。
百合は花弁も少なく、すっきりとした花だ。
これは違いすぎる。
だからこそそれぞれの姿に例えられているのだろうが、
同じ人間がそんな風に早変わりはできない。
はなから無理な話だ。
そんな女性がいたら女の私でも会ってみたい。
それになぜ牡丹が座り姿で、芍薬が立ち姿なのだろう?
是非、どなたか私の疑問に答えてください。
でも、できれば女性をそんな理想に当てはめるのではなく、
その人その人の有り様で、そこから例えてくれるといいのですが・・・
私はどんな花に例えられるのだろう?
いやいや考えるのはやめておこう。


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