新緑の時間

 今週は、慌ただしくすぎている。
連休は、ずっと仕事で休みらしい日がなかったし、今月は仕事上重要なある試験も控えているので、
先月の終わりごろから、落ち着かない気分でいる。
休みには、少しでも勉強をしないといけないのだが、なかなか進んでいない。
そんな中、少しだけ、時間を停めてすごしたことを思い出した。
月曜は、母が通っている病院の診察の日で、父と母を車に乗せて、朝早く出かけた。
いつもどおり、診察を終え、調剤の間、病院の隣にあるベーカリーに寄って、パンを買い、
サービスのコーヒーをいただきながら、ちょっと両親と自然の綺麗な公園に出かけてみようと
思いついた。
お天気もいいし、寒くもないし、気持のいい陽気。
きれいな花が咲き乱れる公園にでも行ってみようかと、車を走らせた・・・が、
残念なことに、月曜は休園。
そこで、家の近くに古くからある、緑豊かな公園に行き先を変更した。
途中、飲みものとおにぎりも買い足して、公園の駐車場に入る。
月曜日というのに、あんがい、車が多い。
小さな子ども連れの家族や、高齢のご夫婦が、犬の散歩と散策をかねて来ているのだろう。
桜の時期や、ゴールデンウィークには、随分賑わっていたのだろうが、広い公園内は、さすがに、連休明けの月曜は静かだ。
桜が終わって、青々と葉が茂る木々。しだれ桜も、新芽をたくさんつけてこれから、緑を濃くしていくのだろう。森や林がずっと広く続く景色と、生えそろった芝のコントラスト。
深い緑、浅い緑、黄緑、黒緑、白っぽい緑、木々によって、光によって、葉の生え具合によって、
さまざま。
木陰になっている通路を、最近少し膝が痛いと言いだした父母と、ゆっくりのんびり、歩きながら、
遠くに池の見えるあたりのベンチに腰を下ろした。
離れたところでは、幼稚園の遠足だろうか。
お揃いの帽子に体操着を着た子どもたちと、そのおかあさんたちが木陰に陣取って、お弁当を広げている。
あとは、犬を連れた老夫婦が、やはり、遠くのベンチに腰掛けて、お弁当を食べている。
犬は、お利口に、飼い主が食べ終わるのを、ちゃんとすわって待っている。
「あの木は、桜だろうか」「そうだね、少し前は、花がきれいだったよ」
「あの犬は、お利口だね」「ちゃんと、大人しくしているものね」
そんなことを、言いながら、買ってきたサンドイッチやおにぎりを食べ、ちょっとした
ピクニック気分を味わう。
「この木は、昔、子どもたちがよく登ったんだよ」
20年ほど前のことだ。
この公園には、よく子どもたちを連れてきた。
大きなクヌギの木が、まだ、元気に大きな枝を張り、緑豊かにそこにあったのが、
うれしかった。
この公園での「お気に入りの木」「思い出の木」は、これかな。
その木陰のベンチで、心地よい風に吹かれながら、何をするでもなく、辺りの景色や人を眺めつつ、
のんびり、新緑を愛でた。
「たまには、外に出るのも気持がいいね。」
「遠くに出かけなくても、森林浴ができたね」
母は、とても喜んで、何度も、うれしそうにそう言った。
普段、忙しくしている私だが、時間がとまったような、贅沢な気持ちのいい時間を、
両親と一緒にわかちあった気がした。
特別なことではないが、ちょっと思いつけば、そんな時間も持てるんだと
気づいた。
今、わたしにできること、わたしがしたいこと、頭でっかちに考えなくても、
気負わなくても、なんとなく、してみたいなと思いついたら、気軽に誘って
やってみるのも、意外にいいんだなと、気づいた。
なにより、私自身が、癒される気がした。
                                                     ruko

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