潔くあること
職場の学校では卒業式は正式には、卒業証書授与式で伝統の形式にのっとった式次第が進行されます。校歌で始まり、証書授与、表彰、校長他式辞、送辞、答辞と進み、最後に式歌として、卒業生が「仰げば尊し」を、在校生と職員が「蛍の光」を歌い式が終わっていきます。
また、卒業の時期は人の異動の時期でもあります。
定年を迎えられる方だけでなく、さまざまな事情で学校を離れられる方が毎年何人かいるものです。今年は、産休中の方の代わり、勤務されていた方が、1年半
の期間終了とともに、新しい職場へ移られる事が決まりました。
先日、開催された送別会で彼は、以前の職場と比較しても年数は短いが印象深い職場だったという言葉とともに、「私は“潔い”という言葉が好きです。ここ
で、お話をする時間が長くなればなるほど、“潔い”ことと遠ざかってしまう自分がいます。」と短く挨拶をされ、少ない言葉に彼の想いを垣間見る気がしてい
ました。
そして、迎えた卒業証書授与式で、たまたま私の前の席に座られたその方が卒業生とともに「仰げば尊し」を歌い始められました。
私には、潔くありたいと願っている彼が、自分の想いを「仰げば尊し」で語られたかのように感じられ、思わず目頭が熱くなりました。
学校という場はめまぐるしくそこを構成する人が変化していく場所です。毎年、多くの出会いとそして、旅立ちという別れがあります。
その数年間をどう過ごすか、学校という場とどんな想いを重ねるかはその人それぞれなのかと思うと、自分がそこに関わる期間を、どういう思い出にしていくか、自分にとってどういう場にしていくかということは、大切なことのように感じられました。
私が「仰げば尊し」を歌いたくなるとき、振り返っての何年かをどう感じるか、それこそ、その瞬間だけに関わってくる問題ではなく、今をつむいでいく先のことになるんだなと改めて感じ、将来に思いを馳せる時間につながりました。