昨日、久しぶりに歌舞伎を観る機会に恵まれた。
東京でのことで歌舞伎座が建て替えで、新橋演舞場での観劇となった。
私の母は日本舞踊の名取でもあり、歌舞伎は大好きな人なので、
子供の頃から歌舞伎は遠い世界ではなかった。
ただ、古典芸能は落語以外には興味のなかった私は、
強く母に誘われなければ、歌舞伎見物に行くことはなかった。
今回も東京にいる従姉と仕事帰りに会う約束があり、
従姉にチケットがあるからと誘われての観劇であった。 
演目は4つ。
詳しくない私からの内容説明はさておき、
久しぶりに歌舞伎を見ての感想を少々ご披露したい。
歌舞伎は武士の世の中であったころを描いたものが多い。
だから、今の私たちには「ありえなーい」という内容だったりする。
今回の演目の中にも、主君の息子の身代わりに自ら自分の息子を差し出すものがあった。
その行為を妻も手伝い、結果お役に立てたことを誇りに思うに至っては
私にとってはまさに「ありえなーい」であった。
もちろん歌舞伎の名誉の為に書き添えるが、
親として子を失った悲しみも十分に描かれてはいた。
歌舞伎の動作には型がある。
余分な動きだと思えるものの中に、大きな意味があったりする。
先ほどの武士の行動も、武士としての型ともいえると思うし、
踊りなどはまさに型の連続。
今回、久しぶりに歌舞伎を見て、そんな型の世界に少し魅力を感じた。
人間国宝になられた吉衛門さんの上手さもあったのかもしれないが、
伝統芸能の良さが分かる歳になったのかもしれない。
私は日頃自然でいることが大好きである。
しかし、あらかじめ決められていたり無駄に思えたりする型の中に
多くの大切な思いが含まれていることもある。
今回の歌舞伎見物は合理的であったり、思うが儘や自然さと同じように、
決められたことにも意味があると思わせてくれる機会になった。
これからは親孝行も兼ねて、
たまには歌舞伎見物もいいなぁと思っている。


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