忙殺

とにかく忙しかった4月もようやく終わり、やっとこの連休で平静をとりもどしつつあります。
忙しかった4月中にどんなことを考えて過ごしていたか?
振り返ってみると、ものすごくたくさんのことを考えたり、思ったりしていたと気がつきます。
まさに、「思考」の量は半端なかったんだろうと思います。
ただ、問題は、その考えたり、思ったりしたことが、それで終わってしまっていること。
書き留めたり、発展させる方法をとっていれば違ってくるのかもしれませんが、
そういう余裕がない状態が続いていたようです。
何をどう思考していたのかはぼんやりとしか覚えていないように感じるのですが、
いくつかのキーワードは残っています。
例えば、「育てる」「日常と非日常」「無条件ということ」「縁」「関心を持つ」
こうやって並べてみると、作業やノルマという無機質の物に追われている中、
考えていたことは、人との関わりの中や、生活するという肌に触れることが多かった
んだなと改めて思えました。
4月1ヶ月間で拡散しまくった思考を、今月から拾い集めて収束していくと
新しい発想が生まれてくるでしょうか?
ただ、やはり、書き留めることはそれなりに大切なのかもしれませんね。


それはそれでめんどくさいと思ってしまうのは年齢のせいでしょうか…。


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