ビミョー

最近、仕事で「ビミョー」という言葉をよく使う。
営業職なので、会議のテーマに、「ビミョーな訪問先への○○」などという
文言が使われることがある。
また、家では、次男と話していると、「明日は家で夕飯食べる?」と聞くと
ちょっと考えてから、「ビミョー」などと返ってくる。
○か×か、判断のつかないあいまいな状態をさして、そういうことが多いように思う。
広辞苑には、微妙①美しさや味わいが何ともいえずすぐれているさま。みょう。「微妙な調べ」②細かい所に複雑な意味や味が含まれていて、何とも言い表しようのないさま。「微妙な関係」とある。
カタカナでは、割と単純に△の状態を指しているように感じていたが、本来の意味からすると、意外に奥の深い表現のような気もしてきた。
人と会って、会話ややりとりをして、その言葉や、表情、印象から、その人の感じていること、欲求、意図や、気にしていることなどを、ある程度推し量って、それに反応を返しながら、関わっている。
そんなめんどくさい言い方をしなくても、毎日、誰かと会ったら、それを
しているのが、日常。
仕事の場面でも、家庭でも、買い物に行った先のお店の人とでも。
その程度が、いろいろ違うだけ。
 以前、仕事で訪問した先の若い女性。ぼんやりした反応で、こちらの話を受け止めているようないないような。興味がなければない。あればある。と言ってもらえば、こちらも反応の仕方もあるのだけれど、ビミョー。
ビミョーでも、理由がある場合とない場合と。本来的に、反応の仕方が、ゆっくりのタイプの方もあるのでと思い、とらえどころがないまま、今日もう一度訪問してみた。
ちょっと切り口を変えて、別の要件もあったので、お話をしてみると、なんとも反応がきりりと早い。別人の印象。きっと内容が、一番関心のあることだったのだろう。質問がどんどんきて、状況もお話いただけて、向こうから、次回のアポイントの都合を決めてくれた。
なんだか、急に親しくなれたような気がして、ちょっとうれしかった。
私自身は、そんな展開を期待していたわけではない。きっとあの人は、何をいってもぼんやりした反応の人なのだろうと、そんなふうにどこかで思っていた。自分のはじめにとらえた印象で、そう思っていた。
だが、相手もそうなのかもしれない。
「この人は、あまり興味のないことを言いに来る人」と感じての反応だったのかもしれない。
それが意外にも、興味のあることを言いにきたと感じて、生き生きと反応してくれたのかもしれない。
人間は、学習していろいろな反応を身につけているので、ものの見方も歳を経てくると、パターン化しがちで、相手のこの反応は、きっとこうに違いないと、思いこんでしまう場合がある。
しかも、それが、度重なると、特に、相手のネガティブな反応を恐れていると、先入観というやつで、ちょっとしたことで、起きてもいない相手の反応を想像して、自分自身が必要以上に緊張したり、防衛したりしたくなる。
こういう自分の作った先入観を壊すには、思いがけない、意外な反応に出会うことが一番かもしれない。
思い込みは、ダメダメ、人はそれぞれ違うのだ。時によっても、興味の対象によっても、変わるもの。
そう言い聞かせるだけで、少なくとも、自分の側で作っている不安からは、解放され楽になれる気がする。
肩の力を抜いて、気軽に、普通に、人と接することができる。
そういうのは、相手にも伝わるのだろう。
ビミョーな反応が、明確な反応になり、応答になり、それが新しい関係に発展することもある。
その組み合わせの妙。出会いは、まさに微妙な味わいのある素敵なものだと
思いたい。
ただし、これ、生モノだけに、賞味期限&取扱い注意の部分もあるような気もする。
出会いから四半世紀、長年のつきあいの連れ合いを見ていると・・・。
思いがけない反応、が、お互いに足りないのかもしれないなぁ。
ビミョーだわ。
                      by ruko


ビミョー” に対して1件のコメントがあります。

  1. imoko より:

    新しい人類は、新しい感性を持っている。また、新しい言葉を使用する。
    まさに、「ビミョー」その通りではないでしょうか。
    こども(特に次男・三男)は新語を使用する、キモイ・キショイ・・・・
    なんだか意味は理解できる、まねして使ってみる。
    長男は、この四月に京都大学に入学できた。左京区にマンションを借りて通学する。つい先日この夏休みを利用して、ボランティア研修旅行とかでタイの少数民族の家でホームステーするといって旅立った。10日程の予定らしい。なんだかビミョー。もっと先進国へいけばいいのにと思いつつ送り出す。
    京都に行く機会が増え、京都が近くなる、今年は二条城の夜桜(ライトアップに桜が映えた。)、銀閣寺沿道の桜、とても観ごたえがあった。また、清水寺の新緑がとても鮮やかで心が和んだ。パートナーと共に京都を満喫できる。今年の定光寺の桜は、いかがでしたでしょうか。つい桜の季節に思う。次は、晩秋紅葉の季節に古都を訪れたい、永源寺のもみじ、香嵐渓の紅葉を思う。
    imoko

  2. imoko より:

    4月上旬、32年ぶりに訪れました。三角屋根の幼稚園 、懐かしい、生け垣が少し大きくなったくらいだ。幼稚園側の車道脇に車を止めると、パパさんが駐車スペースの横から出てきてくれた、誰かと間違えたのだろうか?2回程目があって軽く会釈する、かばんに視線を移し封書をもって車から出ようとしたときにはもう見当たらなかった。「お元気そう」と感じました。
    パパさんは本当に娘が大好きで、目に入れても痛くないくらい、それ故にきつく接する。幼少期に仮面をかぶったように振る舞ったのもその影響、お利口さんのように。大好きなパパさんには逆らえない。パパさんは娘を生涯そばに置いておきたい、でも嫁がせなくてはならない、自分の眼鏡にかなった相手に、その想いがかなった人生。
     人間って、そんなに長く生きられない、うちの父は6年程前に逝ってしまった。誰しもが通る道、早いか遅いかで、でも長生きして欲しい。
    あなたは、本当に頑張り屋さんで、家庭的で、賢く、いい人(女)。でも私には、鉄の女(マーガレット・サッチャー)のように感じる。
     仲のいい弟さんも元気そうで何よりです。
    最近古い記憶がどうしても脳裡をよぎる、昨晩食べた夕食すら思い出せないのに。
    帰り道、32年前この道路を運転しているとき、止めどもなく涙が流れたのを思い出す、前を走る車のテールランプが滲んだことを。
    「人間万事塞翁が馬」そう自分に言い聞かせてきた。34歳で、会社を持ち、もう20年、リーマンショックでばたばたいく中、何とか生き残った。あと10年なんとか頑張りたい。 たぶん、絶対に、一方通行でしょうけど、同窓会を行いたい、覚王山「よし川」あたりでいかがでしょうか。よろしかったら連絡ください。
    4月上旬、菜の花でたんぼ一面が真っ黄になっていた、新緑のいま、新緑の間に紫の藤の花が美しい。 里山から~

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