誉められ上手
愚痴から始まって申し訳ないが、ブログは毎月担当者が回りもちをして書いていて、2月は自分だと分かっているのに、今月も切りきりになってしまった(泣)。
今日は、久し振りに映画に行った。
つい先日、日本が2つのオスカーをとったことで話題になったアカデミー賞で、夫ブラッド・ピットの主演男優賞と夫婦受賞かと言われ、主演女優賞の候補だったアンジェリーナ・ジョリーの「チェンジリング」である。
内容はあまり書きたくないが、なかなか重い映画で涙している人も多かったようだ(とっても混んでいましたよ)。
私は映画の本題とはちょっとずれているが、人は頑張って正直にまっとうに生きていれば、誰かが協力してくれるものなんだと思いながら見ていた。
とはいえ、こ映画の中での彼女の努力はすごいものだったが・・・
映画の話は、ここまでとして本題の「誉められる」ということに入ろう。
書き出しでアカデミー賞のことに触れたが、どんなものでも賞を貰うというのは評価されたということで、他より良いよということを誰かが決めてくれたということである。
要するに、自分以外の誰かから誉められたということだ。
喜ばしいことだし、悪い気はしないであろう。
ただ、どこか気恥ずかしく素直に「すごいだろう」とは言いにくい。
いろいろな賞を貰っているところを見ているが、「当然です。私は他とは比べものにならない位すごいんですから」と胸を張っている人は、あまり見たことがない。
私は、かなり素直に感情表現をする方だが、それでも「あったりまえじゃん!!私でなくちゃ変でしょう」とは言わない(あっ、自分は賞を貰ったことなんてあったっけ?)。
なぜだろう??
よっぽどラッキーでない限り、賞を貰ったり誉められたりするのには、かなりの努力が必要だろう。
いろいろなことを我慢したり、犠牲にしたこともあっただろう。
で、そのことを認められた表現が「いえいえ、私などたいしたものではありません」だの、「皆さんを差し置いて私などが・・・」と言うのは、何だか納得ができない。
気分的にも、怒られたり貶されたりするより、誉められるのはよっぽど気持ちがいい。
そのことで自信がついたり、エネルギーが湧いたりもする。
だったら、オリンピックでメダルを取るほどでなくても、皆が「自分を誉めてあげたい」「チョー気持ちいい!!」と言ったらどうだろうか。
日本人には「謙譲の美徳」という考え方というか文化がある。
それはそれで日本人として大事にしたいと思わないでもないが、何だか残念な気がするのも嘘ではない。
自分が頑張ったことは頑張ったと言いたい。
嬉しい時には嬉しいことを表現したい。
それが自然な気がする。
いつも回りに配慮して、素直な自分の気持ちを表現できなかったら、悲しい気がする。
皆さんは、どう思いますか?
Seedsが取り組んでいる、ラボラトリー方式の体験学習では、自分自身が感じたり気づいたりしたことを、率直に伝えることから学んでいくことがある。
私も、お互いに率直な関わりをもつことで、多くのことが生まれてくることを実感している。
考えてみれば、私が今こんな働きをしているのは、ラボラトリー方式の体験学習に足を突っ込んだ頃に、最高に上手に私を誉めてくれる人がいて、そのことが私のエネルギーになったからだ。
だから今度誉められることがあったら(いつになるかなぁ)、「チョー気持ちいい!!」と言ってみようかと思う。
そして、誉められた時の自分なりの正直な素直な表現を見つけたい。
また、誰かが誉められた時には、その人が素直な表現ができるように傍らで喜びをわかちあえる人になりたい。
そして、そのことで一人でも元気になる人が増えたらいい。
今は、合格発表や旅立ちの季節。
多くの人の「チョー気持ちいい!!」を聞き、元気になりたいものである。
また、春になり新しいスタートを切った人たちを、いっぱい誉めていけるといいと考えている。
もうすぐ春、さくら満開!!万々歳!!
SeedsのIS