公開授業
仕事先の学校で国語の公開授業が開かたので、クラスの様子を知るのと、先生の顔を覚えるために見学しました。
一つ目は、高校特進クラス。
先生は優秀な方のようですし、生徒たちも勉強を抵抗なくしている子たち。
そのせいなのか、知識の詰め込みに終始する授業のように感じられ、教師でない立場での見学者の私には、なかなか辛い授業時間でした。
先生の解説にも熱がこもって来たとき、あたかも、先生-黒板-教科書の三つの間で、何かが完結しているように見えたのが興味深かったです。
そういえば、我が子の学校の先生の中には“黒板に向かって授業する”方もいたなと、思い出してしまいました。
二つめは、中学のクラス。
クラス担任が教科を担当しているクラスのせいか、生徒、教師とも、緊張しているとは言っても、まずまず落ち着いてのやり取りが交わされていました。
T「今から“想像”をするんだぞ」
S「妄想でもいい?」
T「妄想でも良い、(話を)作るんだ」
といった調子ではじまり、途中、ペアでの話し合い、発表、次の作業への展開といった段取りが、次々と手際よく進められ、50分でこんなに盛りだくさんのことができるんだ!と感心することしきりでした。
2つの授業を、保護者とは違った目(我が子の参観でも同じような視点で見ている気もするのですが…)で見てみると、自分が欲している情報をきちんと精査して取り入れていることに気がつきました。
これはラボラトリー体験学習のファシリテーターのときに使う眼と同じなんですよね。こういう場でもトレーニングができるんだと改めて思ったのでした。