見た目?!

今月のブログはISの担当です。
ずっと書かなくてはと思いつつ、今日まできてしまいました。
何を書こうかなと考えてしまうと書けないものですね。
今もまだ考えている途中という感じです。
とは言っても書かない訳にはいかないので、最近ちょっと思っていることを書いていこうと思います。
それは、私は時々「見た目」に囚われてしまうということです。
囚われるというと悪いことのように聞こえますね。
惑わされると言う方が近いかもしれません。
私の周りには、比較的実年齢より若く見える人が多いです。
自分の親も80近いのですが、その年齢には見えないように思いますし、
恩師や仕事仲間なども老けて見える人は少ないような気がします。
そのせいか、私は人の年齢を当てるのが苦手です。
「えーそんな歳なの!!」と意外な若さに驚いたりします。
若く見える人たちを“あたりまえ”と思っているので、
歳相応な人であっても「苦労されたのかなぁ?」とか、
「ご苦労があるのだろうな」とか思ってしまうのです。
これは、余計なお世話だし失礼なことだなぁと思うのですが…
反対に、身近にいる若く見える人達には、
実際の歳よりも若い言動を期待してしまいます。
その上、その人達に対してこれぐらいは大丈夫などと思ってしまい、
いたわるという気持ちが湧いてこず、優しい態度もとれないのです。
しかし、ふとした時に実際は歳をとっているのだと気づき愕然とします。
一緒に歩いていてもスピードがやけに遅いとか、
前にも聞いた話を初めて話すようにするとか…
少し若い世代にしても、文字を見えにくそうにしていたり(私もですが)、
更年期障害の話が多くなったり…
こうなると若く見られることは嬉しいことなのかどうかと考えてしまいます。
実際、人は皆平等に1年で1歳ずつ歳をとっていく訳ですし、
歳をとることは自然なことで恥ずかしいことでも何でもない訳ですから、
案外ちゃんとそれなりの年齢に見られた方がいいのかもしれません。
「もっと若いと思っていたわ」などといわれると、
悪いことをしたわけでもないのに申し訳ない気持ちになる、
なんて妙なことがおこっては、何だか悲しい感じがします。
そういったことは、全て見ている側が勝手に思い込んでいるだけなのですから…
若く見えるというだけでなく、こんな「見た目」の話もしたいと思います。
私には、3つ違いの二人の息子がいます。
この二人は、他人が見るとよく似ているようです。
家族は人が言うほど似ているとは思えず違う顔に見えるのですが、
これもそれぞれの“見た目”が違うということでしょうか。
ところで、最近この二人にとって祖母である私の母が、
今年の正月に撮った二人に囲まれた写真を、財布に入れて持ち歩いています。
その母が先日私に
「この写真を友達に見せると、10人中7人ぐらいは弟を兄と言われるよ」
と言うのです。
確かに弟の方が性格的に落ち着いていて大人っぽいのですが、
そんなことは写真に写るわけではなく、分からないはずなのですが…
やはり人というのはその人の持っている内面が“見た目”にも表れてしまうのでしょうか?
そしてそう見えてしまうことは、彼らにとって嬉しいことなのか悲しいことなのかどうなのでしょうか?
そんなこんなを考えていると、“見た目”に惑わされず、
その人自身を見ていくことの難しさを感じてしまいます。
見て感じてしまったことを消し去ることは容易なことではなく、
その思いを超えていこうとするのは大変なことだと思うのです。
人と“見た目”ではない関係を築くには、
その人にどのくらい関心を寄せられるかが、ポイントになるのかもしれません。
関心が深ければ“見た目”だけでなく、よりいっそうその人を知ろうという努力をすると思うからです。
そして、人はいつも自分の基準で人を判断し、
多かれ少なかれそのことに惑わされているのだということを、
忘れてはいけないのだなぁと考えています。
“見た目”ではない、ものごとの本質を見極める目は大切だと思いながら、
“見た目”もごまかせなくなった自分の肌の衰えを、見極めたくないと思う今日この頃です。


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