4月の例会

新年度初めての例会を4月3日に行いました。

コロナやSeedsのメンバーの都合で、3カ月に1回の開催になったので、今回も文献は最後の8章~10章と終わりにの4つをいっき読みました。これで「ネガティブ・ケイパビリティ」が完結です。

8章は、「シェイクスピアと紫式部」知らない人がいない作家(?)を取り上げています。シェイクスピアは現実を描いているのではなく、作品そのものが「現実」だという高みを目指していると著者は書いている。また紫式部は当時の男性の手になる歴史書は、表面の事実を素気なく記述しただけと考え、もっと血の通う歴史物語を書かねばならないと考えていたと書いている。紫式部を師と仰いだフランスの女性大作家マルグリット・ユルスナールのことも紹介している。1938年に「源氏の君の最後の恋」「源氏物語の続編」というものを書いている。この2人は作者が性急に結論を出してしまうのではなく、それぞれのあり様を忠実に描き切っており、読み手がどのように読むかによってとらえ方も違ってくるというところで、ネガティブ・ケイパビリティの代表的な二人と言っているように私たちは読みとった。

9章は、「教育とネガティブ・ケイパビリティ」について述べている。現在の教育はポジティブ・ケイパビリティの教育。スピードも画一的で個々のスピードは認められない。本来の教育はネガティブ・ケイパビリティ。芸術などはその代表的なもの。「運・鈍・根」が研究には必要で、直ぐに解決に結びつかなくても持ちこたえていく力が大事。人間には底知れぬ「知恵」が備わっているから、持ちこたえていればいつか落ち着くところに落ち着き、解決していくと著者は述べている。

10章は「寛容とネガティブ・ケイパビリティ」。人間尊重を目指す平和な世界には「寛容」が大切であるということから、この章は始まる。「寛容」の土台は「ネガティブ・ケイパビリティ」。宗教にふれ、人間の尊重には「寛容」が不可欠であるとし、どうにも解決できない問題を何とか耐え続けていく力で寛容の火を絶やさず守っていると書かれている。次に、メルケル首相とトランプ大統領にふれ、寛容と不寛容を語っている。先の大戦を上げ、不寛容の先にある戦争や若者の思いを消してしまう戦争の理不尽さを「きけわだつみのこえ」など挙げて語っている。一方為政者にネガティブ・ケイパビリティが欠けていることが、あの大きな悲劇を生んだと考えているようであった。ちょっと重い感じのする章であった。

「おわりに 再び共感について」でこの本は結ばれている。共感について語っているこの章は、共感にはネガティブ・ケイパビリティが不可欠であることをいくつかの側面から語っている。中でも感動的だったのは、ルワンダの孤児院に送られた米国の子供たちからの贈り物の、二人子供たちののやりとりは「共感の力こそが人生を変える」という言葉を実感させてくれる。

この本の結びには「読者が共感の土台となるネガティブ・ケイパビリティの力を知り、少しでも人生が生きやすくなったと感じられたのであれば、本書の目的は達成された。」ある。

「ネガティブ・ケイパビリティ」は多くの大切なことを、私たちに教えてくれた本であったと思う。

次回からは「傾聴の心理学 PCAをまなぶ」坂中正義著 創元社 を読んでいくことを決定した。

その後、次回からの文献の決定と担当箇所の決定、来月(5月24日)行われる「自由に語り合おう」について相談して例会を終えた。

次回例会は7月18日に行うことを確認した。