雨の季節

豪雨、災害地域の皆様、心よりお見舞い申し上げます。この数日、雨が続き、熊本、福岡、長崎と九州地方に居座った低気圧の雨により、大変な被害が起きていて、そこで暮らす方々の、言葉、声、表情に言葉もありません。自然災害が毎年、だんだん規模を大きくして発生しているようで、これも温暖化のせいなのかと、やるせない気分です。

さて、ちょうど今日、私たちSeedsがずっと取り組み、学び続けている体験学習の研究グループである「HIL研究会」の仲間からのメールに触発され、本棚に長い間眠っていた冊子を読み返し、気づいたことを書いてみようと思います。

その冊子は、人間関係(南山短大人間関係研究センター)第2、3号合併号で、引用されていたのは、柳原光(1985)”人間関係訓練による”体験学習ートレーニングから学習へー という論文です。

その中に、オーデンの記述を紹介するとして、Tグループ のような集中的小グループに起こる深い次元の体験は、そのグループに対話(dialogue)と出会い(encounter)の状況が存在する。時間、空間、一定の制約の中で(時空的集中性)きわめてパーソナルなやりとりを通して、深い情動レベルでの人間同志のかかわりあいとしての対話と出会い(人格関係的集中性)が感動的に起こり得るのである。

そして、それを図式化した中に、

 

対話: 自己開示・・・ 自分の感情、自己概念、成育歴を他者にあらわにする

傾聴・・・   相手の自己開示を聴く

出会い: ・自分が今自分をどのように経験しているかを相手に話すこと。

・相手が自分の中にどのように入りこんできているか(特に苦痛と感じられるようなマイナスの仕方で)を相手に話すこと。

ちょっと、難解な、ややこしい記述かもしれないのですが、私にとっては、ちょっとした発見になりました。グループ体験の中で、私が求めているものは、やっぱり「出会い」なんだなと。相互に出会える仲間を大切にしたいなと。

コロナの間、自粛をしていて、自分自身と深く向き合う時間を持ちました。私が今本当にしたいことはなんだろう。一番気がかりなことは、なんだろう。今しか、できないことは何だろう。そして、これまで培ってきたもの、仲間との関りの中で、悩み、歓び、苦しみ、癒され、寂しさを感じながらも、しっかりした糧として、今、自分にあるもので勝負することって、なんだろう。

そんなことを、ずっと考えていました。

ひとつは、上で述べた、「出会い」です。グループを一緒に過ごす中で、何度か、出会いを経験しました。それは、今、自分の中にちゃんと残っていて、自分の核を支えてくれている気がしています。

私は今、親の介護をしています。義母と両親の。

それぞれ、施設でお世話になっていますが、父は、超高齢者なので、さすがに、最近は体調も不調で徐々に、いろいろな介護の形を組み合わせていかなければ、ならなくなってきました。

体を壊して、しばらく入院が続き、退院しましたが、これまで通りの生活ができなくなってきました。立って歩けないこと、座っていても、体を支えられなくなっていること、食事にも介護が必要なことなどなど・・・そのたびごとに、施設のケア担当のMさんが、具体的な提案をしてくれます。「こういう状態なので、こんなやり方をしたいのですが。」「このような介護用品を使うと楽だと思うので。」など。それは、本当にきめ細かく、父の様子を観察して、よりよい暮らしができるよう考えてくれます。私は介護の専門ではない上、コロナ禍で今は家族は施設に入れないので、具体的な状況を見ることができません。気づいたときに、すぐによりよい方法の提案を相談してくれて、一緒に考えてくれるMさんの存在は、心強いし、信頼できると感じています。また、この施設には、看護師のNさんがいます。父の薬の事、体の事、すべてを管理してくださって、医師につないでくれます。病院に父を連れていくときは、最近の父の状況を、簡潔に書いてくださいますし、気になっていることがあると、すぐに私に伝えてくれます。Nさんの存在も心強い限りです。他にも、Kさん、Hさん、お世話になって3年目ですが、ほかにも、毎日両親を支えてくださっている方々との関りが、今は、ありがたいし、心強くもあります。介護の報告書には、私はキーパーソンとなっているので、3人の親たちの状況は、私のところへ逐次入ってくるのです。時には、困ったことも入ってきます。父のことも、母のことも。それを遠慮なく、はっきりと、でも、わかるようにすぐに伝えてもらえるのは、うれしいことだなと思います。

楽に受け取れることばかりではありません。「ちがうな」と思うこともあります。そういうときは、「少し考えさせてください」ということもあるし、弟と話し合うこともあります。

本当の正解のないことを、関りの中で、一緒に考え、話し合い、決めて、作っていかなければ、ならないのですから。

しかも、コロナの状況です。高齢者施設での大変さ、ウィルスを入れない体制を保つには、従業員の方全員の方が注意して意識高く継続してくださらなければ、できないこと。

いろいろな想定をしながら、「親たちのくらしをよりよく」を目標として、ひとつひとつ、協働しているかんじが、今は、特にあるなと感じています。

今の私にとって、親の介護は、家族、施設、医療との協働作業だと思っています。だからひとりで背負い込むこともなく、信頼できる人達のおかげで、安心していられるのだと思います。皆さんが、いてくれる。あ、これはNさんに相談しよう。これはMさんに伝えよう。そう思えることが、救いだし、うれしいことです。

キーパーソンとして、親と過ごせるおそらく残りわずかの時間を、悔いなく、出会いを通して、出会った人との協働作業を、やり抜きたいなと、思っています。

明日も、Nさんに要望されたので、施設の医師の検診に立ち合いに行きます。

喜んで、行こうと思えるのが、自分でも不思議です。

ザーザー雨が、少しは止んでくれるといいのですけれど・・・