古代の生活に思いをはせる
今日は岐阜県現代陶芸美術館の「美力発信プロジェクト」の一環で開かれた
橋本麻里氏の講演会に行ってきました。
「ニッポンのやきもの、一万年の美をめぐる」というタイトルで、
認知考古学の観点から、道具としてのやきものが同時に用を重んじない美術品でもあることの
意味を聞かせてもらったように思います。
特に今日は、認知考古学という学問分野を初めて知りました。
考古学を心理学的な視点でとらえ直し、新たな理論や概念を検討することだそうです。
数多のやきものがあるなかで、まず縄文土器が取り上げられました。
縄文土器の出現は、人類が定住を始めたことを意味すると言っていました。
それは、移住生活をしていたら、重い物は持ち運べないからだそうです。
また、土器(道具)と土偶(用のないもの)は同時代に作られていました。
土偶のようにめでるものを作ることがすでに行われていたならば、
土器につけられた縄文独特の火焔文様は、
土器を単なる器としてつくってたというよりも
何か意味を持たせているともとらえられるということでした。
出土地域に個性が見られたりすることもあって、
文様に自分たちのふるさと意識、この土地に住む私たちを表現したと
考えられるのではないかとされているそうです。
きっと、ともに暮らす人の心動かされる文様がつけられたのでしょう。
そして、心動かされることが美を意識する感覚なのだということでした。
さらに弥生と比べてみると、弥生式土器の方がすっきりしているのは、
社会が進化し、その仕組みや規則性が生まれ、
無駄のない道具としての器という側面が強まっている証ともいえるそうです。
このように社会生活や、人間関係から考古学の歴史をとらえなおすと
やきものを道具として、あるいは美術品として、
新たな意味が付加されて、おもしろかったです。
また、私は、当時の人々の生活と美術の結びつきを身近に感じ、
とても興味深く聞きました。