ふれるふれられる

 先週の土曜日、日曜日は南山大学で、第17回日本体験学習研究会全国大会が、開催されました。
私は、土曜日だけ都合がついたので参加してきました。
全国大会だけあって、東京、大阪、沖縄の方まで、体験学習に関心のある方々が、
はるばる遠方からこの大会に参加されていました。
 私は6つのワークショップのうちの、グラバア先生のボディワークに参加しました。
今回は迷わず、これを選びました。
この夏から、老親の生活を支えるため実家に通う日々を過ごしています。
ときどき82歳の母と一緒にスーパー銭湯に行っていますが、足も弱っているし、
段差もあり、お風呂の中は滑りやすいので、母の手を引いて歩くことが多くなりました。
小柄な母の手は、私よりやわらかくて、あたたかくて、白くてやさしい手をしています。
子供のころは、きっと私がつないでもらったのでしょうけれど。
また、ときどき1歳になる孫を抱っこすることもあります。
まだ話せないけれど、なんでも身振り、手振り、体全体で欲求を訴えます。
手を取って、体をゆすってなだめたり、あやしたり、笑わせたりします。
中身がいっぱい詰まっているような、小さくてしっとりした温かい手をしています。
言葉や説明を介さないで、人とかかわり、出会い、気持ちを分かち合ったり
楽しんだり、いたわったり、変化に気づいたり、気遣ったり、頼ったり、頼られたり・・・
そういう日常をふりかえりつつ、あらためてボディワークに関心を持ちました。
ワークを通じて、自分の中に湧いてくるいろいろな気持ちに気づくことができました。
また、ペアになった方とのいい出会いもできました。
手はセンサー。かたいところ、つめたいところ、やわらかいところ、あたたかいところはありませんか・・・
先生の言葉をガイドに、相手のからだにふれながら、たしかに違いがあり、そうだと感じつつ、ふれる、ふれられることは、
こころにふれる、ふれられることでもあるんだなぁと。
そして、私は瞑想に近いかんじになることができて、自分なりのインスピレーションを感じ取ることもできました。
非日常の、とてもリラックスできるいい時間になりました。
空気感 という言葉があります。
雰囲気 というのとは、少し違うのでしょうか。
目には見えないけれど、人によっては識別できるもの、好き嫌いのあるものなのでしょう。
非言語コミュニケーションである、からだの動きや表情、五感を通した感覚、
そうしたもので通じ合えたら、ダイレクトにこころに伝わるような気もします。
でも、ひとりよがりになれば、誤解もうまれるかもしれません。
言語、非言語を両方で補い合って、両方をできるだけ察知して、コミュニケーションをとっていきたいものです。
 

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