楽しませてもらってありがとう、平昌オリンピック
平昌オリンピックが終わった。
日本選手の活躍を毎日楽しみに過ごさせてもらった。
メダル数は過去最多で、
メダルには届かなくても過去最高位という人も多かったのではないかと想像する。
出場している選手たちは、自分の子どもたちの世代で、
この子たちはいわゆる「ゆとりっこ」だよなと思う。
ゆとり世代は何かと揶揄されることが多いが、
この活躍ぶりを見ると、ある一定の教育目的は達成されていて、その成果が表れているようにも思う。
スポーツではないが、将棋の藤井聡太さんや囲碁の井山さんなどもゆとり世代だ。
自由にのびのびと自分の関心事に邁進できる環境が整えれた時代だったのかもしれない。
その一方、そういう環境を与えられる人とそうでない人の格差は広まったのかもしれない。
みんながそろってある一定のレベルに到達することと、
能力ある個人がその力を存分の発揮できるような環境をつくることはなかなか両立しないことなのかもしれない。
もう一つ思うのは、オリンピック選手たちが
以前ほど日の丸を背負っている感じがしなくなったなと思う。
「自分との戦いだ」という言葉もよく聞いたように思った。
そういうふうにマインドセットできることがゆとり教育とつながっているのか確証はないが、
競争重視ではない教育だと思っているので、そこに私はなんだか意味を感じてしまう。
「自分との戦い」と選手が言っているのを聞くと、とても素敵だなと思う。
自分のすべきことを自分が納得するようにやったら結果がついてくるという意味だと解釈している。
それは私が自分の日常もそうありたいなと思っていることと一緒だ。
他者から認められたいという気持ちを放棄はできないが、
そこに執着しすぎないようにしたいものだと思うからである。
平昌オリンピック、
結果がよかったからかどうかはわからないが、
スポーツの祭典としてさわやかなオリンピックだったなと感じている。