6月の例会

今日の文献は、5月に続いて社会構成主義入門「現実はいつも対話から生まれる」の第2章「批判」から「再・構成」へ
です。

私たちの世界(社会)を構成するさまざまな概念は、自分のコミュニティーの伝統の側からの見方で、物事を唯一の現実(真実)と受け止めてしまう傾向がありますが、社会構成主義が支持するものは「なぜ、これはそうなのか?」と考え続けること(批判的内省)によって、話している相手の地位や実績や才能とは関係なく、どんな主張も、それは「見方の一つ」に過ぎず、別の見方があるという気づきを促します。

これらの批判的内省の問いかけは、もう一つの声、もう一つのビジョン、もう一つの構想や修正へと、再構成されていくことでもあります。多様な視点が加わることは、「個人」から「関係」へ置き換わること、より前向きにクリエイティブに自己の概念を再構成することに他ならないと、著者は述べています。

フェニミズム、多様な人種や文化、ニュース報道、性差の問題、宗教論争、メデイアリテラシーなど、批判的内省の問いかけは、社会の見方を大きく揺さぶり、今日では私たちの意識にも変化が起こってきています。その意味では、社会構成主義の試みは、すでに広がりをみせているとも言えるのでないでしょうか。
民主主義の発展には、こうした批判的な試みや批判的な感度(感性)は、小さな声や抑圧されたものを解放していく力になっていくのです。
だれもがネット上で「いいね!」と反応できる時代ですが、そのような時代だからこそ、どのように受けとめて、どう返していくかが問われる時代です。

・批判的内省が、怒りや相手を反撃したり、争いを生むような負の力になるのではなく、それぞれの異なる意味づけを「関係」へと繋げていくこと。
・どう受けとめ、どう返していくか、信頼や調和、コラボしていく「対話」の力が大切ではないでしょうか。

この本ではどの章にもコラムがあって、視点を変えて読み解くブレイクタイムです。
2章は2つのコラムが用意されていました。

その1)は・・・「強いのは精子、それとも卵子?」
その2)は・・・「欠陥の言説としての精神疾患」

1)では、人間の生殖についてをナラティブな手法で理解してみることの紹介。
2)では、社会構成主義の観点から精神疾患をどのように捉えるかについて。
ある子どもがもし「好奇心旺盛」とか「刺激を多く必要とする」と特徴づけるなら、その子にやるべき面白いことをもっと見つけてあげればよい。だがその子が注意力欠陥障害と診断されたなら、リタリンを処方され続けることも起こるだろう。病気なんだから薬で治すという定説でよいのか。もしかしたら、もっと望みのある別の「構成」を探し求めていくことへの警告が紹介されています。

「批判」から「再・構成へ」のプロセスは、個人ではなく人と人との「関係」の中からにこそ、私たちが「本物だ、理にかなっている、価値がある」とするものが生まれてくるのだとも述べられています。
それは、他者「と共にある」ということ、ひいては、人生への深い理解を呼び起こしてくれることだと・・・。

「関係を通してネガティブからポジティブ志向へのシフト」「違う見方があるのだ、という気づきが第一歩」「応答から話が展開していく」「再認識すること」というようなキーワードも挙がりました。

また「ナラティブ」「ストーリーテイーリング」「プレイバックシアター」「ポリフォニーという概念」「関心について」「カーストというクラス」・・・などについても話題になり共有できました。

来月は、3章「社会構成主義と専門行為」へと続きます。

事務協議では、研修の報告と現在利用しているグループメールが12月で利用できなくなる対応などを話し合いました。

また今月、6月2日(日)3日(月)は、例年開催している一泊研修を蒲郡で行いました。
海の見えるイタリアンレストランでランチの後、ラグーナ蒲郡からもほど近いホテルへ・・・。
今回は、4月〜6月に担当している研修で行う実習を再度検討したり、メンバーの一人が用意してきた新しい実習を体験してみました。実習時間が15分と短く、1時間で導入からわかちあいまでできる、コンパクトな実習です。
短時間でパズルをみんなで解いていく手法が面白く、またバージョンを上げて、みなさんにもご紹介できたらいいですね。

翌日の朝は、ラグーナ蒲郡の朝市に出かけたり、美味しい海の幸を頂いたりと、自由時間もたっぷりありました。
同じ客室で皆で寝泊まりし、今年も楽しい研修旅行になりました。