不思議なことに…

気候の変化に体調を崩している人も多いのではないでしょうか。
久しぶりに娘が帰省していますが、かすれた声、そして咳き込むと咳が止まらない様子。
先週、似たような症状を知人からも聞いていたので、今流行っているのでしょうか・・・。
昨日は、予てより、娘と一緒に父の納骨のため出かける予定でしたが、体調も万全でないので、
私一人、姉の住む四日市は大谷台、垂坂山にあるお寺を目指して出かけました。
父の遺骨を車の助手席に乗せ、一応シートベルトで固定して。
四日市まで車を走らせるのは久しぶりだったので、ナビを頼りによく走ったことのある東名阪ルートで行くことにして
ナビの設定をしたはずでしたが、渋滞情報もあり、もう一つの伊勢湾岸道路へと向かっていることになり、え?なんで?と思いながら、悩んでいる場合じゃないし!と、走り続けました。
こんな時、皆さんはどうしますか?
予想に反した道を走ることになり、一般道路なら適当に止まって確認もできるけれど、高速道路は進むしかない
という選択。もしかして間違えた?と迷いつつ、いやな予感も味わって・・・。
一人って、いいような、悪いような、こんな時に頼りになるのは、私の勘とナビ、これしかないわけです。
しばらくして、大丈夫かもと、わかったところで、やっと落ち着きを取り戻せました。
やれやれと思ったのも束の間、もうじき四日市というところで、今度は四日市の手前、川越ICで降りるルート案内。
「もう少し先まで行きたいのですけれど!」と、一人で大きな声を出してみましたが、ここはナビに従って一般道路へ・・。
一応、こういう時の為に早めに出てきてよかったと思うのでありました。
しばらく走ると、懐かしい見慣れた景色が現れてきて、そうだ!多分この辺りは、母の実家の近くの富田浜!
昔の記憶が蘇ってきました。高速がなかった頃、名古屋ー四日市を父の運転する車で、よく走った国道23線(名四国道)だった
だったことを思い出して、一気に安心した気持ちになれました。
ならば、ちょっと寄り道したルートで行ける!と、ここは私の勘を優先して、国道を左折、富田浜の港の方へ・・・。
やはり、昔よくおじいちゃんに連れてきてもらったところでした。昔の面影があるある、そして抜け道も同じようにあるではありませんか。
今はもう更地になっている銭湯跡とか、夏祭りでにぎあった大通りとか、懐かしい!
でも道路がこんなにも狭かったのかと、驚きながら、母の実家だった通りを、ゆっくり通り抜けました。
これって、もしかして、父も来たかったのかな??
ちらっと助手席の遺骨に目をやって、ちょっと込み上げるものも感じつつ、まずは目指す姉の家へ向かわねば!
そして、次なるところでも不思議なことが起こってしまい、ナビが向かった先は姉の家ではなくて、何故か遠回りして、
私が小学校4年生まで住んでいた辺り。「西阿倉川」界隈で、ナビが沈没・・。
出発する時、姉の家の電話番号を入力したはずなのに、一体なんで、なんで??さすがにこの時は、神隠しにあったようなゾクゾクっととした気持ちになりそうでしたが、姉宅の住所を入力し直して、気持ちもナビも軌道修正です。
この風景、見覚えあるし歩いたことあるし、という不思議な時間を通り抜けて、何とか到着できました。
それにしても、「あれはなんだったの?お父さん?」と、今も思い返してもよくわかりません。
温和なご住職にお経をあげていただき、お寺の敷地内の静かな場所の墓地に父の遺骨を納めて、本日の予定は無事に終了。
帰路は東名阪を予定通りに帰れて、やれやれの1日でした。
そして、最後の最後に驚かされたのは、お寺の石の記念碑に「一隅を照らす」という文字が・・・。
天台宗を開いた最澄の残した言葉と言われていますが、この言葉は、ラボラトリーの体験学習を学んでいた短期大学時代、
「一隅を照らす人」と恩師から私たち学生への励ましの言葉でもありました。
自分自身が置かれた場所、与えられた場所で、精一杯努力して明るくひかり輝くことができるように。
そうした一人ひとりの存在が素晴らしいこと、そしてそのことはお互いの関係や社会を変革していける力にもなれるのだということ。
まさかこここで、この言葉が、どか〜んと目の前に遭遇するとは・・・。
本当に驚きましたが、同時にとても嬉しい気持ちにもなりました。
そして、父も、この言葉のように一隅を照らす人だったように思えて、とても誇らしい気持ちになりました。


