心のけじめ

激動の4月が終わりました。
始まりは孫たちのお世話。仕事に復帰したお母さんの代わりに、爺婆が孫たちと濃密な時間を過ごしました。幸せな時間でしたが、体力的には、決して楽ではない毎日を送らせてもらいました。
それに続いて、新年度の授業が始まり仕事をし、90過ぎの母と母の姉、従姉妹たちとの時間を過ごすこともしました。そうこうしていたら母が尻もちをついて大腿骨骨折になり手術入院、その対応にも追われることになりました。
月末には東京での合宿の研修に、ファシリテーターとして参加し、その帰りには群馬の榛名に足を延ばし、3月に亡くなった大切な人とのお別れもしてきました。
その中で、私の心に湧いたことを書いてみたいと思います。
一つ目は、孫との間でのこと。
孫の親である息子夫婦がいない中で、孫とどう接するかを考えることがありました。特に、叱らなければならないかどうか。私は普段は危険がなければ、何でもさせてやりたいと思っていて、実際にできるだけダメを言わないようにしています(夫は結構叱りますが…)。ただ、一緒にいる時間が多いと孫も我が儘を言ったりすることも多くなって、いつものように叱らないという訳にもいかないこともあります。特に、食事に時に私たちの年代には勿体ないと思うようなことに関して、どこまで許すかは難題でした。
「ご飯粒を残すと目がつぶれる」なんていうのは死語と思っていますが、用意したものをちゃんと食べず、次々と違うものを要求してきたりした時には、「いいよ、いいよ」とは言いにくくなります。時には‶ザ昭和”な言葉が出てきたりして、お説教じみたことになったりしてしまったのです。もっとこうすれば良かったかとも思ったりしますが、ばあちゃんなんてこんなもんかと開き直ったりしています。爺婆が傍にいて育つ孫がどう育ってくれるか、最後まで見させてもらうことはできませんが、今しばらくは楽しみながら見守っていきたいものです。もちろん時には‶ザ昭和”で対応をしつつ…
二つ目は、母のこれからを決めなければならなかった時のこと。
先ほど書いたように母は大腿骨骨折の手術をしたのですが、もともと徐脈の母は術後不整脈を起こして一時はICUでお世話になりました。その際に、循環器の医師からペースメーカー埋め込みの手術を勧められました。
母には認知があるので、自分自身で判断をすることは難しい状況です。認知になる前から延命などはしたくないと言っていた母でしたが、果たして今もそうなのか…。医師に言わせるとペースメーカーは延命治療とも言い難いもののようで、知人を含め数人の医師に埋め込みを勧められたりしました。私は悩んだ結果、自分としてはペースメーカーを埋め込まないことにしようと決めた上で、医師にお願いして母と一緒に再度説明を聞き、母の意向を聞いて最終的な答えを出すことにしました。今まで何でも自分で決めて実行してきた母には、やはりどれだけ理解しているか分からなくても、自分の知らないところで子供たちに決められるよりはいいのではないかと考えたからです。結果、私の想像どおり、母は即座に「そんなことはしない」と言い、医師も本人も家族の方もしっかり意思を持っての決断と分かったので、受け入れますと言われて決着がつきました。私もこのことを決して後悔はしないと思っています。
最後は、若い時からずっと私を応援してくださった方とのお別れのことです。
3月に亡くなった時、私は群馬まで行くことができず葬儀には参列できませんでした。昨年のイースターの時に会いに行ったのが直接お目にかかった最後だったのですが、頻繁に会う方ではないので、亡くなった実感も持てずにいました。この歳になると、若い頃からの私を知っていてくれる人も少なくなり、ましてや心の支えになってくださっていた彼女が、この世からいなくなったことを認めたくないとの思いが私の中にあったのかもしれません。
でも、やはり彼女ともう一度相対して、お別れを言いたいという気持ちもあり、彼女のいた施設の方々にはお世話をかけることになりますが、群馬に住む友人の力も借りて行ってきました。彼女はクリスチャンですから仏教のしきたりは関係ないのですが、私が訪れた4月29日は丁度四十九日当たり、施設の方がわざわざ祭壇を設えて司祭と共にお祈りの場をつくってくださいました。彼女の遺影は優しく微笑んだ素敵なもので、在りし日の彼女の声が聞こえてくるようでした。小さな箱に入った遺骨にはなっていましたが、「会いに来たよ」と話もでき、私にとっては貴重な時間が過ごせました。
寂しい気持ちもありますが、今はきっと私のことを空の上から応援してくれていると、そしていつも私の傍らにいてくれると、心から思えています。
こういう機会を与えてくださった皆様に、心から感謝しています。
私はどちらかというと、潔い人(こういうといい感じですが、我が儘だけかも)なので、あまりいろいろな事に捕らわれてしまうことはないのですが、心のけじめというか「こうしよう!」と自分で決めたと意識化することは大事にしています。
この4月は、そういうことが必要な時間が多くあったなぁと、しみじみ思っています。
5月はのんびりした一カ月が過ごせるといいな~