困った台風

9月になりました。
長い夏休みも終わり、日常が戻ってきたと感じている方も多いのではないでしょうか。

今年の夏休みの終わりは、迷走台風に翻弄されましたね。名古屋に住む私は、やきもきすることが多く、いくつか予定変更も起こり、落ち着かない毎日でした。
ただ、私は実際の被害に遭うことはなかったのですが、割と近い所で大きな被害が出たりして心が痛んでいます。
少しでも早く、少しでも影響が少なく、誰もが日常に戻れることを願っています。

私は、昭和34年の8月生まれなので、今でも台風の話になると出てくる伊勢湾台風の一カ月前に産まれました。
もちろん何も覚えてはいませんが、多くの人から当時のことを聞くことは多いです。
我が家は幸い、家が大きく壊れることもなく、水に浸かることもなかったようです。ただ、当時の木造の家の床下から吹き上げる風で、私の眠っているベビーベッドが置かれた畳が浮き上がり、同じ畳の上に必ず誰か大人が座っていないといけなかったと母が教えてくれました。伊勢方面に訪れていた祖母の行方はしばらく分からず、目の前の堀川を挟んだ向こう岸は水浸しで、何日も炊き出しを続けたとも聞きました。   
そんな話が多い中、私の7歳年上の夫は、今まで経験したことのない雨風にワクワクしたとか、学校が休みになって嬉しかったとか、子供だから仕方ないとはいえ、呑気な思い出話を私にしてくれたことがあります。

伊勢湾台風ほどの台風は、私の記憶に残っている限り1つもありません。でも、台風はわーっと来て、わーっと去っていくというイメージを今も持っています。
でも、今回の台風10号の経験で、どうも昨今の台風はそうでもないということを知りました。台風は独自に動くものでないので、気象の変化で起こっている偏西風の北上や、太平洋高気圧の張り出し、海水温の上昇など、65年前の台風の状況とは大違いのようです。
65年の歳月で、私が大きく変化したように、気象も変わっていくのだと言えばそうかもしれませんが、そんなことではすまされないものがあることは言うまでもありませんよね。


私にも可愛い孫がいます。
この子たちが安全に幸せに人生をおくれるように、何ができるか誰もが考えていく必要があると、警告を与えてくれていると考えるのも、自分の身を守ることを考えるのと同じように必要なことなのだと、改めて思っています。

私の父は終戦時、特攻隊員で飛行機待ちしている身でした。その父が、自分の見た悲惨な光景の一つに、伊勢湾台風後の丸太回収(父は材木屋でした)をあげていました。何度も聞いたわけではありませんが、亡き父の口から聞いた話の中で印象に残っているものです。こういった悲惨な自然災害をなくすことは、人の力で出来ることではないと思いますが、どんどん進む環境変化には人が抗う術があるのかもしれないと期待してしまいます。
全く知識のない私が、何言ってんだという感じですが、可愛い孫を守りたいという思いが私の支えです。だから今日も分別してゴミを出します。