やり残したこと

今年最後のブログになりました。

昨年に続いて、コロナウイルスに翻弄された1年でした。やっと下火になってきたかと思っていたら、また変異株だとかで聞いたことのないギリシャ語を覚えることになりました。今度はオミクロンだそうです。どうぞ皆様が罹患しませんように。
毎回ブログに何を書こうかと悩むのですが、我が家に私のブログをチェックする厄介な奴がいて、それもプレッシャーになっています。
別に誉められたいわけでもないのですが「今回のはなぁ」と言われると、ちょっと心が痛みます。そこで、今回は「ちょっと良かった」と言ってもらえた時の続編を書いてみようかと思います。
年が押し迫ると、今年やり残したことはありませんかと聞かれることがあります。私はいつもあまり無いのですが、今年は一人の人に会うことを悩み続けてきました。その人は、私にとっては人生の大切な恩師で、相手にとっても私たちは正式な教員として初の教え子。40年以上、本当に身近な存在として、一緒に仕事をし、家族ぐるみのお付き合いもしてきた仲でした。ただ数年前に、お互いの変化からすれ違いがおき、今は距離をおいている関係になっています。
その人がこの1年ほど体調をくずして闘病中なのです。ご本人が公表しているので、ここで書いても差し支えがないかと思うのですが、なかなか厳しい状態が続いています。私はもちろん何もできないので、回復を祈ることしかできないのですが、いつも心のどこかに引っ掛かっていて、色々な方面から彼の状況をキャッチすることに努めています。
私と彼との関係にスレ違いが起きたことは、周辺の仲間たちの中には知っている人も少なからずいます。先日、前にブログに書いた、8月に無くなられた友人の偲ぶ会が行われたのですが、その会場で出会った大学院仲間に、「このまま会わずにいていいの?」と問われてしまいました。私自身が何度も何度も考えていることなので、少しドキッとしました。「そんな風に心にとめていてくれて、ありがとうね。」と答え、ずっと考えていることも伝えました。
彼の一言は、確かに私の背中を押してくれていると感じました。
その後、同じような立場になっている仲間の一人と話をし、一緒に行こうかと話をしてきました。近いうちにやはり会って、率直に話ができれば良いと私は思っています。闘病中の彼にとってはどうなのか、とっても気になりますが、大学院仲間が言ってくれたように、このままでは悲しいようにも思います。
重い話になってしまい申し訳ありません。今年の年越しは、大きな荷物を背負ったまま過ごすことになるかもしれない私の状況を、率直にお伝えしてみました。私にとってはこの状況は、初体験です。しっかり考えて行動したいと思っています。そう考えてきたら、やはり、どこまでも彼は私の恩師なのだと改めて気づきました。
気軽に読もうと開いてくださった方には、少々嫌な思いをさせてしまったかもしれません。でも、最期まで読んでくださって、ありがとうございました。