今思うこと

今日から10月です。季節は秋。年度の折り返しでもあります。

2021年はあと3か月ありますが、今年ほど人の生き死にを考えたことはありません。60歳も過ぎていれば、これまでにも大事な人が生まれたり、亡くなったりした経験はあります。ただ、今年は重なりすぎています。

春から夏にかけて、二人の息子のところに娘が次々に生まれました(これは前にも書きましたね)。すくすくと育ってくれていて、いつも私の心に喜びや余裕を与えてくれています。一生懸命育ててくれている息子たち夫婦にも感謝です。子育ては本当に大変ですから。私も親バカから孫バカに転向しています。おむつのパッケージを背景に移っている写真を見て「おむつのパッケージの赤ちゃんよりも○○ちゃんが可愛い‼」などと、他人が聞いたら「バカか⁈」というようなことを言っています。

この2人の誕生は、生の喜びと力強さを感じさせてくれる体験でした。

夏の終わりの自分の誕生日には、大切な仕事仲間を亡くしました。仕事仲間というと大した関係ではなかったように感じてしまいますが、私の人生を少なからず変えた数人の恩師たち以外では、私が生きる姿勢や人との関わりを考えるときに、こんなに影響を与えた人はいないかもしれません。死を知らされる20日ほど前に、名古屋から離れる彼を名古屋駅で見送ったばかりでした。そんなに遠くない将来に彼との別れがくることは、もう半年ほど前から実感していましたし、それなりの覚悟もしていました。でもこんなに早くその日がくるとは思っていなかった。その朝、誕生日のお祝いメッセージのメール中に、50歳という早すぎる彼の死を知らせるメールを見たとき、心が揺れました。悔しさ、残念さ、寂しさ、色々な思いの中に、ほんの少しの安らぎも感じました。彼の闘病が終わったことや、これでいつも彼に見守られているという思いからでしょうか。今も彼を思うと複雑な思いが湧いてきます。やっぱりもっと一緒にいたかったです。もっと一緒に語り合いたかったです。

その彼との別れから2週間も経たないうちに、父との別れの時がやってきました。私の人生でいつも傍にいることが当たり前の人でした。いつも私の傍にいたがった人でした。決して仲良しの父娘ではありませんでしたが、他の人よりもちょっと長く、私の父でいてくれたことには感謝しています。私の人好きはこの人からの遺伝かもしれません。そうだとしたら宝物をもらったと思います。誰か来てくれて帰る時には必ず「もう帰るのか寂しいね。また来てね。」と言う人でした。良い人だったかどうかは分かりませんが、あまり人の悪口は聞いたことがないように思います。特攻隊の生き残りの父から長生きできた自分の人生への思いを聞いたことはありませんが、大袈裟にではなく淡々とずっと家族や人を愛している姿は、何かそういう体験に影響されていたのかもしれません。94歳を目の前にした旅立ちは、年齢的にも十分でしたし、医師からも「老衰のようなものです。」と言われる最期も人生を全うした感じがします。今頃はあの世で最後に母に言われた「私も後で行くから、いい場所をとっといてね」という言葉を忠実に守って、いい場所を探して(母が気に入る場所かどうかは?)場所取りをしているように思います。母がいつ行くかはわかりませんが・・・

友人も父も私に生きる姿勢を見せてくれました。そして、これからも心の中に生き続ける存在です。

誰もが生まれ、いずれ死の時を迎えます。それは今年生まれたばかりの孫たちにも必ずやってきます。いずれやってくる最期の時を迎えた時に、自分で納得のできる人生を送ってほしいものです。そしてその時はずっとずっとずーっと先でありますように。

私ももう少し、大好きな人の応援をしながら生かされていきたいと思っています。