父の介護
昨年から、認知症の父をに、グループホームに入ってもらっています。
昨夏、母が他界してから、
父を一人にしておくことができず、急遽選択してのことでした。
選んだホームは、その時空いているところの中で選んだので、
よく吟味できているわけではありません。
その時のベストを選んだと思っていますが、
しばらくの間は、小さな不安や、私自身がうしろめたさを持ったままで過ごしてきました。
だから、ホームのことで気になることがあっても、
それは些細なことで静観したほうがいいことなのか、
きちんと伝えて確認した方がいいことなのか迷いがありました。
半年たったところで、父の主治医のもとで認知症度を測ったら、
その数値が下がっていて、それがきっかけで私の気になることが少しずつ増大していきました。
そんなことを思っていると、ホームの担当のケアマネさんが代わりました。
新しいケアマネさんと話していると、
私が父をみてもらっていることへのうしろめたさが減っていくことに気づきました。
それは、その人が父の様子をどのように見ていて、
それに対し、こんな対応をとっているということをていねいに説明してくれた時、
「見てあげている」というより、
「みさせてください、おまかせください」という印象を持たせる話しぶりだと感じたからです。
その後は、気になっていることも解消されたり、
ホームの職員の方々の仕事ぶりもなんとなく変化したように感じられました。
些細なことも言ってみようかなという気持ちになっていく私の変化があしました。
そんな自分の変化に気づくと、
私は自分のうしろめたさは何だったんだろうかと思うようになりました。
父を自宅で過ごさせてあげられないこと、
父の衰えに対し、もっと何かできることがあるのではないか、
と考えてしまうことにあります。
でも、父は、「わしは迷惑かけとらんか?」
「もうそうわしのことを気にせんでもいい」としょっちゅう言います。
考えてみれば、私が勝手に父の余生を幸せにしていないと
決めてしまっているようだなと思うようになりました。
年末年始も肺炎になり、入院しましたが、先ごろようやく退院しました。
顔色もよく食欲も回復し、ほっとしています。
しかし入院すると体の機能が退化してしまいます。
そのことが心配だけど、ホームのケアマネさんから、
「少しずつ、様子を見ながらもとに戻るようにケアします」と言ってもらっています。
信頼して、見守ることにしようと思います。
父と介護についての視界が開け、私の憂鬱が去っていきました。
気持ちあらたな新年のスタートになっています。