仲間について思う

みなさんは、仲間という言葉に、どんなイメージを思いうかべるでしょうか。

 

カラオケ仲間、ゴルフ仲間、飲み仲間、などの使い方がされるけれど、

まあ、何かを一緒にする友達、あるいは、何か目的を同じようにもって活動する同志、

そんな感じでしょうか。

 

趣味嗜好が、何もかも同じでなくても、それぞれが個性を持っていて、

その活動が好きで意欲があり、認め合い、生かしあって、お互いの成長(上達?)のため、

そのグループの目的や発展のために働きひとつのグループ活動を続けていく。

 

この11月から現在までの間に、私は、そうした仲間のありがたさを実感する機会に

いろいろと恵まれました。

 

11月の下旬、私は沖縄ヒューマンインターラクションラボラトリー(HIL)という

セミナーに参加してきました。このセミナーは、参加者が主体的に体験をとおして人との

かかわりから学びあう場で、合宿形式で4泊5日で沖縄県の与那原というところで毎年開催

されています。私は、2003年にはじめて参加し、ことしで6回目の参加でした。

 

私にとっては、ここでの毎回の学びは、自分の成長にとって大きな影響を与えて

くれるものなのでときどき、どうしても行きたくなるところです。仕事の都合や家族との

都合が合わず、しばらく行けずにいましたが、今年は思い切って行ってみて、

本当に得るものが大きかったと、今はしみじみ感じています。

 

その一つが、仲間の存在です。今回の私の働きは、仲間があって生かされたという

実感がありました。それに、不安やストレスを感じる場面でも、聴いてくれる仲間、

おしゃべりできる仲間の存在が助けになりました。昔から知っている仲間もあり、

新しい仲間もあり、初対面の仲間もあり、そういう中で人と人が織りなすグループの活動。

私にとっては、沖縄HILの仲間です。

 

その余韻の残る中、沖縄から愛知県に戻ってすぐに昔馴染みのバンド仲間とのゴルフ

ラウンドをしました。20代の前半、名古屋市内にある青年の家で、バンド活動に

加えてもらっていたことがあります。いくつか複数のバンドが集まって、合同で練習会場を

借り、合同で会場を借りてコンサートを開くアマチュアのバンド活動でした。

それぞれ結婚などを機にしばらく活動はなくなりましたが、連絡は取りあっていて、

子育てが終わった頃から、また、ときおり、バンド練習をしたり、食事会や飲み会をする

仲間です。還暦を迎えた仲間、今後の人生をどうしたいか、子どもの結婚、親の介護、

お互い同世代だけに、いろいろな話をしながら、楽しくラウンドし、けっこうまじめに、

お互いのことを話したりできた気がします。

 

 

そして、先週水曜日、短大時代の同期生4人で、京都めぐりをしてきました。

「人間の尊厳のために」を教育理念に「体験をとおして主体的に学ぶ」ことを2年間

一緒に過ごした、一生の友であり仲間です。卒業以来、それぞれの人生を生きてきて

いますが途切れることなく、いまだに、仲間として思いやってたすけあって、

かかわりあっている仲間との日帰り旅行は、心から楽しめるものでした。晩秋の紅葉、

情緒あるお寺、目にも美しいおいしいお料理、甘味と深い味わいのコーヒー、

尽きないおしゃべり、などなど五感を十分刺激して、心から笑って、リフレッシュ

できました。ありがたい、かけがえのない仲間です。

 

それから、昨日は、グループトレーニング研究会(GT研)のTofTに参加して

きました。Tグループという学びのトレーナーとしての学びを深めるための勉強会です。

発足当初、何度か参加してしばらく離れていましたが、今年度からまた参加させて

もらっています。沖縄での濃密な合宿研修で得てきたものを、自分なりに試みることが

でき、自分自身の学びを整理し、手ごたえをつかむこともできました。それには、

そこに集ったひとりひとりの存在が欠かせなかったことだと感じられました。

ここに集う人たちも、私にとって大切な仲間です。

そのあとは、中華料理店で、たのしくおいしく食べて、忘年会をしました。

 

そして最後に、このブログは、「グループファシリテーターの会Seeds」のものです。

なんだかんだいいいながら、もう15年くらいになるのかな。毎月例会を欠かさず、

年に一度は合宿もして、依頼を受けた研修の仕事や看護学校の授業、Seedsオリジナルで

企画した学びの場の運営などを続けています。助け合いながら、ぶつかりあいながら、

考え、立ち止まり、感じあい、協力し合ってやってきています。

これまでも、これからも、仲間としてやっていきたいと感じています。

 

ちなみに、今週13日はSeedsの例会日です。翌週には、忘年会も。

 

いろいろな仲間とのかかわりが、私の生きる力を支えてくれている気がします。

困難に逢ったときに、寄りかかるという意味ではなく、困難に逢ったときに自分が

踏ん張る力を育ててくれる存在。うれしいとき、ほっとしたとき、つらいとき、

くるしいとき、それを分かち合ったとき、しっかり受け止めてくれる存在。

 

仲間 というイメージは、私には、いま、こんなかんじです。感謝です。

 

 

ruko

 

 

 


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