早春の清里

先週の金曜から二泊三日で清里高原にある、清泉寮で開催された
第14回HIL研究会に出るため、出かけてきました。
正式には、「ヒューマンインターラクション・ラボラトリー研究会」といって
私たちSeedsの活動と同じく、ラボラトリー方式の体験学習の学びの場を合宿形式で主に、山梨、
北海道、沖縄で毎年開催している活動団体です。
そしてこのHILの活動に賛同し、参加しているラボラトリー方式の体験学習のトレーナー
(ファシリテーター)が年に一度、清泉寮に全国から集い、自己研鑽のために勉強会をしています。
この学びが研修会として1958年に日本で最初に行われたのが、ここ清里の清泉寮であることから、
ここ清泉寮は、私たちの学びにとって聖地ともいえる場所です。
その当時からある、木造の研修棟は、温かい木のぬくもりと石造りの暖炉が古き良き伝統を
感じさせます。
今回も、遠く、長崎、福岡、大阪、奈良、福井、名古屋、東京、埼玉などから仲間が集まりました。
清里は、いつもなら雪が残っているこの時期、今年は暖冬のせいもあってかまったく雪はなく
木々が芽吹きを待っているかのような、静けさをたたえていました。
澄み切った空気、夜はそれなりに冷え込みがあり、ぱちぱち燃える暖炉の火に温められた研修室で
また宿泊を通してのさまざまな場面で、3日の間、中身の濃い時間を過ごすことができました。
その中で、私にとっては恩師でもあるひとりのメンバーの言葉が、今回は特にこころに響きました。
プレゼンス (presence)  存在  あること は
プレゼント(present) 贈り物をする 差し出す に通じる というもの。
自分自身の存在を生かして、相手に差し出す。相手のために役立てる。
そういう意味になるのかと、腑に落ちた気がしました。
人の生きる意味が、そこにあるように感じます。
この学びと出会って、随分になるけれども、私自身は周りの人の役に立ってきただろうか。
自分の思い描くような、働きができているだろうか。
自分のことを優先して、できそうなことを後回しにしてこなかっただろうか・・・
その前に、自分らしく在れただろうか。自分の外にあるものに、振り回されたり、
疎ましく思うことで、自分自身を見失っていなかっただろうか。
何かを大事にしてこれただろうか。自分と相手と丁寧に向き合ってきただろうか。
そんな問いが、自分のこころをめぐるチャンスになりました。
それと同時に、集った仲間同士、語り合い、お互いにエールを贈り合い、
交流する時間を持つことができ、こころ強くも感じました。
今日は、実家の親たちのもとへ、おみやげのほうとうを持って行って、
作りました。かぼちゃ、ねぎ、とりにく、たまねぎ、にんじん、しいたけ、などと、
きしめんよりも厚みのある麺を煮込んで、みそベースの味付けをするほうとうは
父の好物です。母も今日は完食してくれて、いい昼ごはんになりました。
早春の清里は、私に、日常をしっかり生きる力を分けてくれた気がします。
出かけて行ってよかったなと思います。
                                                                                                             ruko
 
 


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