老いの過程をともにする
私は自分の親と同居しているので、「老い」をまじかに感じながら生活しています。
ここ最近、父の認知症が進行して、数時間前、いやもっと少し前にしたことも覚えていないようになりました。
でも、今何をしているのか、食事をする、歯を磨く、病院に行こうとしている、その時々のことはわかってます。
そのあと何をしなくてはとか、明日どうなるなどどいうことはいっさいなく、まさに「今ここ」だけを生きています。
でもときどき「今日は病院に行く日だった」などと、カレンダーをみて不安になったり、
そうかと思えば、夢かうつつかわからないような話をしたりします。
たとえば数年前に亡くなった友人に「今あってきた。」というので、
「どこで?」と聞くと彼の家に行ってきた、
そして「元気そうでうらやましいな」と言うのです。
先月2週間ほど入院していまして、その時も自分がどこにいるのかわかったりわからなかったりして、
病院では大変お世話になりましたが、
ふと、「わしは今、あるがままにおるが、みんなに迷惑かけておらせんか?」と聞いたりします。
自分のことだけなのかと思ったら、周りの人のことにも気づいてくれたのだと思いました。
最近デイサービスに行ってきました。行くまでにすったもんだしましたが、まあ何とか行くことができました。
時々ケアマネージャーさんが訪ねてくださり、お会いするときちんと挨拶もできて、社会性を取り戻したりしています。
そういう日の夜は、人と会って緊張し、疲れもするけど、顔がなんとなく引き締まった感じがします。
いろいろなことが日々あります。
私自身は、子育てが一段落し、しばらくは自分のことを中心にして過ごせばよい時間だったので、
正直、誰かのために時間を取られることはしんどいです。
でも父のそばで過ごす時間は、日ごろ私が忘れていたり流したりすることに気づかせてくれることもあり、
また、自分もたどるであろうこの先の道のりを、ともに過ごすことで、自分のありかたを考える示唆をもらうこともあります。
今までの経験では想像もつかない様々な出来事に遭遇することで、私のものの見方の引き出しが確実に広がっていることもかんじながら、今の状況をできるだけポジティブに考えて過ごしていきたいなと思います。