湖北の仏像めぐり

4月の5,6日に、友人と琵琶湖のほとりの西明寺と百済寺、金剛輪寺、
いわゆる湖東三山と呼ばれる名刹をめぐる旅をした。
ちょうど、この時期からしばらく御開帳されることになったからである。
そこに行くにあたっていろいろ調べたら、
湖北と呼ばれる長浜や木之本あたりは、古い仏像がたくさん現存する地域であることを知った。
せっかくなので、仏像めぐりの旅をすることにした。
湖東三山もよかったが、湖北の古い仏像も印象に残った。
琵琶湖の北は、京都からは鬼門にあたる地なので、
比叡山をつくった最澄や、奈良の大仏を作ったとされる行基などが
この地を訪れ、多くの寺を作り、仏像を安置した。
しかし、戦国時代、比叡山の門徒は信長から焼打ちにあい、
また、琵琶湖の周辺は、姉川の戦い、賤ヶ岳の戦い、そして関ヶ原と、大きな戦が行われた。
そのとき、土地の人たちは、自分たちの守り本尊を何とか戦火から逃がそうと
川底や水田の中に隠し、守ったそうである。
そのため、手や腕、持ち物が失われていたり、
泥をとるために磨いたため、金箔や漆もとれてしまった仏像もあった。
そして、現代もそれぞれの町でほそぼそと守られている。住職などはいない寺ばかりであった。
ガイドブックには携帯電話の番号が記されており、私たちが見に行きたいと電話をすると、
その村のお寺係りの当番の方が、わざわざあけてくださった。
いくつか行ったが、どのお寺でも歓迎され、
また素人ながら勉強されたことを丁寧に話してくださり、
穏やかな仏像の御尊顔を拝したことにもまして、心温まる旅になった。
今回私は、教科書で習った表舞台とはちがった歴史を垣間見た。
見方が変われば、権力者もただの破壊者にすぎなくなってしまうことも改めて感じた。
また、琵琶湖のほとりは今は日本の中心の地域ではないし、
水田地帯が広がるのどかな風景だが、そこに暮らす人たちや町の様子は
歴史の中心を担った時代のなごりなのか、なにか豊かな感じを受ける土地であった。
そして、目的のある旅は、新しい発見や、新しい視点を私に与えてくれるのだとも気づいた。
 

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