記憶について

  私は、この頃、顔は思い浮かぶが名前が出てこないということがよくある。同年代の人は、みんな同じだというので心配はしていないのだが、「あれ、あの」の多用が目立つ私である。「あれ、あの多用症候群」は何に原因があたるのだろう。

 人の記憶の中には短期記憶、長期記憶があるというのはよく聞く話である。試験勉強は短期記憶から長期記憶に残るようにやらないとだめだと言う。名前の記憶は、長期記憶なのか短期記憶なのか、その両方でもあるような気がする。

 最近、作業記憶と出来事記憶という記憶の種類を知った。作業記憶というのは、字を書いたり、料理をしたり、「昔とった杵柄」というやつである。対して出来事記憶というのは、いつどこで誰と何をしたというような場面や出来事の記憶である。

 私の父は、最近かなり物忘れがひどくなっているので、病院に行って検査を受けた。いわゆる認知症のペーパーテストなのだが、家族の心象としてはかなり悪いように思うのだが、そのテストをすると満点を取ってくる。父曰く「子どもだましのようなメンタルテスト」だそうである。 しかし、日常で「昨日、○○さんが我が家にいらしたでしょ」という出来事の記憶では「そうか?」と覚えていないのである。仕事で培ってきた記憶や作業の仕方についてはいまだ衰えずなのだが、短期の出来事記憶が覚えられなくなっているということのようだ。

 私の夫は、私と同じ年齢なので、大体似たようなことを勉強し、似たような出来事に遭遇している。前から私は彼と頭の構造が違うと思っていて、そのことが、この出来事記憶と作業記憶の分類で考えると、すっきりすることがわかった。 私は出来事記憶に強いタイプ、夫は作業記憶に強いタイプなのである。たとえば、夫は、音楽の授業で習った文部省唱歌のようなものの歌詞や、古文の暗記したものについて、かなり正確に覚えている人だ。私はすっかり忘れており、うろ覚え状態なので、その点について、いつも感心している。短期記憶を長期記憶に移し替えられなかったともいえる。

 しかし、思い出話をする時、「あの時あそこでだれだれさんに会って、・・・という話になると、「覚えていない、そうだっけ?」「あるいは、そんな人は知らない」というのである。
私はこの点に強いのである。ヘタをすると着ていた洋服さえ言えるくらいである。
何を食べたかはたいてい記憶に残っている。

 そして、私は比較的名前を覚えるのは得意な方である。基本は視覚情報であるが、どんな言動をした、誰と一緒にいた、ということも同時覚えているところがある。これがまずわたしにとっては記憶に残す重要な情報である。そこで関心を持った人はその背景も知りたくなり、そうしたことも自然にインプットされていく感じがある。

 でも、会わなくなると途端に名前を忘れるし、この頃は本人を目の前にし、名前だけが出てこないふがいなさである。加齢によるものとはわかっているが、いったい私たちの中に何が起こっているのだろうか。

 つらつら考えるに、物忘れとは別の話しになるが、人にはそれぞれ記憶のしかたのくせのようなものがあるのかもしれないなと思える。英単語や数式など、はじめから覚えたくないものは当然頭に残っていないことから類推すると、モチベーション、興味関心の度合いも記憶に影響があるかもしれない。また、視覚から得られる情報の影響もあるだろう。
そうしたもののミックスであることは確かだと思うが、自分の物事のとらえ方や関心の傾向を考える一つの指針にもなりそうな気がする。しばらくこの観点で他者を観察してみるのもおもしろいなと思っている。

 そんなことを考えていたからか、図書館でダニエル・L・シャクター著「なぜ『あれ』がおもいだせなくなるのか」に遭遇した。まだ、少ししか読んでないけど、今私が思っていることとは違う切り口なので、楽しみに読み進めたいと思う。


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