人生の将来設計

 先日、友人と話したときのこと。
小さいながらも、会社経営者である友人は、50代も半ばになって、人生の将来設計を考える時期に
来ている気がすると言っていた。
子供たちが巣立って、これから家をどうしていくか。
奥さんが望むように、交通の便のいい、駅近くのマンションに越して余生を過ごすか。
今の、駅からは車で10分ほどの里山近くにある築20年の広い庭付き一戸建てを、上手に手を加えつつ暮らして、いよいよ老後になったら、小さい家を敷地内に建てて、半分の土地は売るなりするのがいいという、自分の望みを貫くか。
また、仕事においては、今の事業を今まで通り、拡大していくのか、それとも道筋を作って、継承者を育成して今の規模を維持しつつ、任せていくのがいいのか、はたまた、若いころからの夢にあるような儲けは少ないが、やってみたい新しい事業に本格的に取り組む時期なのか・・・と。
これまで、生活のため、目の前の仕事として、がむしゃらに、一生懸命やってきたことを、
ふりかえり、後世につないでいくことを、考える時期なのかもしれない。
家にしたって、子供が巣立って、これまでの役目を終えたと思えば、老後の暮らしに向けて、
住み替えや、建て替えの選択をするのも、そんなに年取ってからでない方がいいだろう。
人生の節目というが、子供の巣立ち、結婚は、そういう時期のひとつかもしれない。
さて、我が家はどうか・・・
夫は、これまでやってきた仕事で身に着けた技術やノウハウを生かして、もう少し自由に動ける
組織に移籍したいと考えている様子。その調整中。今年か、来年か、わからないが、やってみたい
仕事があるのはいいことだと思う。
私は、これまで続けてきた活動を、もう少し広げていきたい希望がある。仕事との両立では
なかなか思うようにいかないことも多いが、自分だけが学び続けるだけではいけないような気がする。
自分から、周りに発信もしたいし、意識して行動もしていきたい。
家は、住み替える気はないが、もう少し断捨離しないといけないかな。
家族というものを、今は少し本気で意識している。
家族と言っても、親、息子、息子の嫁、甥、姪、なども含めての3世代のつながりだ。
私が小学生のころ、祖母(父方の母)が仏壇を買って、先祖供養を始めた。祖父の親の小月命日には
お寺のお坊さんを呼んでみんなでお経をあげた。
その習慣を、今は私の親が引き継ぎ、お盆や法事には、一族みんなで集まりお経を唱える。
当たり前の行事にいなっているので、息子たちもそれぞれそういうものと思っている。
親族で、年に何度か、集まり話をしてなんとなくつながりをかんじる。
これも、祖母が始めた家族の継承の行事なのかもしれない。
息子、甥、姪が結婚しても、形は違えど、こんな集まりを続けていければいいなと思う。
そういう道筋を作っておきたいなと思う。
結構、それは、エネルギーのいる仕事かもしれない。
自分の満足のためではなく、今後の家族の何世代にもわたる、つながりのために。
何かあったら、助け合ってやってけるような、信頼のために。
継続することは、大事なことなんだろうなと感じるようになった。
Seedsの活動も10年 その前の学びの再開からだと15~6年にもなるか。
縁あって、一緒に学びを続けている仲間。
このつながりを、どんなふうにしていくか、10年というのも、今後を考える
ひとつの節目なのかもしれない。将来設計・・・
さて、どんなことがこれからできるのか、したいのか。乞うご期待としておこうか。

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