喜寿の祝い
ことし、4月のはじめに、母が77歳になった。
母の誕生日は、いつも、ちょっとしたプレゼントと、ケーキとお寿司を買って、
実家に行くのが恒例。娘としてのささやかなお祝いだ。
今年も、仕事の合間に時間を作り、実家まで車を走らせながら、ところで何歳になったんだっけと
数えてみたら、「そうだ!喜寿だわ」
ちょうど、その時、携帯が鳴った。
弟から「母さん、喜寿じゃなかったか?本当は数えで祝うのかもしれないけど・・・」と。
いい加減な、子供で申し訳ないけど、これは、お祝いしなくちゃということになり、先日、
私の家族と弟の家族、両親の総勢10名で、食事会をした。
弟やそのお嫁さん、夫や私や、息子たちの仕事の都合を調整して、中華料理のお店を
予約してお祝いの会をした。
円卓を囲んで、ワイワイと好きなものを、みんなで分け合いながらの気楽な会で、これが食べたい、これ欲しいと、遠慮のない息子たちや、スイーツはどれにしようと、ずっとメニューを眺めて迷っている高校生の姪。大人しいけど、食欲旺盛、運転免許取り立ての大学生の甥。
久しぶりに、みんな揃っての集まりだった。
思えば、毎年、年に何度か集まり、食卓を囲む家族だけれども、この日は、月日の経つのを、しみじみと感じた。
しばらく見ないうちに、大人びた様子の姪の変化や、甥の様子。
小さい頃を知るだけに、子どもの成長の確かさは、その年月を物語る気がした。
その分、私たちは勿論のこと、親たちは年を重ね、老いたということなのだ。
若いエネルギーは、見ているだけで、周りを明るくする。いまどきの会話をくったくなくする
いとこ同士のやりとりを見ながら、3世代が同時にそこにいる面白さ、ありがたさを感じた。
親戚づきあいは、めんどくさいし、煩わしい。
そういう感覚から、核家族での生活が当たり前になり、形式ばった付き合い方は、
いくらかは簡素化してきている。その家によって、家での家族のつながりで、それぞれが、ちょうどいい付き合い方をしているのだろう。
かつてのように、決められたしきたりが、生きているわけではないので、それぞれが、意識して
付き合っていくことでしか、つながりを保って行くのは、難しいのかもしれない。たとえ血縁者であっても。
不景気や、就職難、それぞれが、自分のことでいっぱいで、余裕なく暮らしている。
ストレスや、精神的な不安から具合を悪くする人もある。親戚や親がいても、助けを求められずに
経済苦から、ホームレスになる若者があるという。孤独死をすることもあるという。
ゆるやかでいい、くったくなく話ができる親戚、親兄弟、血縁がなければ、友人、隣人、
いろいろな世代の、そういうつながりを、できれば、現実世界の中で(仮想空間の中でなく)
保っていければ、少しは、心強いし、助け合えるのではないのかなと、そんなことも思った。
今まで、親たちに負担も、心配も掛けてきたと思う。それを今度は、引き受ける番になりつつあるのかもしれない。順番がきたような、そんな気もした。
母に花を贈りながら、こういうのも何か意味があるのかもと思った。
この日は、私自身の誕生日でもあったので。
ruko