距離と時間の問題:算数ではありません。

7回シリーズという長丁場の仕事が終了した。
若い学生さんたちが、自分自身に向き合う時間、あるいは、友と自分たちのことを真剣に語り合う時間がいかに少ないかを知って、少しでもそんな時間をもってもらえたことについて、よかったなあと思う。
長くおつきあいすると、ついつい私自身の思いを伝えたくなってしまう。はじめはジャーナルにかいてあることそのものに反応するというやり方に徹していたが、慣れてくると、応援しているつもりがついつい大げさな言い回しになっていたりしていることに気づき、ホワイトで消すのが多くなってしまった。そんな自分に気づけてよかったし、このままずっと彼らの変化をみていたいなあなんて思う気持ちを初めて味わった。
これが自分自身の身の回りのこととなると、なかなか見守る境地にたてないものである。私のこの思いは、愛なのか、欲望なのか、考えるとほとんどが私自身の欲望なのではないかと唖然とする。
毎度、息子の剣道部の話で恐縮だが、新1年生が入部した。まだ小学生の面影が残るかわいい子たちばかりである。
今年は人数も多いけれど、本当に無邪気で今までとはちょっと雰囲気が違う。前の私はそういった様子を見て、2,3年生と同化してほしいと思ったなあと思う。今は、彼らがどんな風に変わっていくか、どんな爆発的な力を内包しているのか見たい気がする。そこには、自分が強く関与しなくてもいいという立場上の問題もあるとは思うが、そもそも同化してほしいという風に思う気持ちはだれのためなのかと思うと私の勝手な思いなのである。
親や教師、ファシリテーターと呼ばれる人の役割の一つに見守る力が必要とされる。それは、待つ力なのだと思う。いろいろ見えたり気づいたりすることをすぐには言わずにおく力とも言えるかも。
また、自分のほうを向いてほしいとアピールする人もいる。そういった人とどういう距離で付き合うかそれもまた、見守る力の中の必須条件なのかもしれない。
いろいろな人といろいろな距離でいろいろな時間を過ごす。この多様性が私自身をまた育ててくれる。


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